2018年を振り返って

  • 2018.12.30 Sunday
  • 17:42

 

 いったいこの体験にはどんな意味があるのだろう。

 今年に限らず、なにかしら不条理な、あるいは理不尽な体験を致しますと、その〈意味〉を握り締めるのが難しいと感じてしまいます。

 ことのほか今年は、私だけではなく、多くの方々がそのような想いに駆られたのではないでしょうか。

 

 KJ法においても、ラベルの〈志〉(ラベル群全体を背景とした個々のラベルのシンボリックな訴えかけ)がなかなか見えてこないことがあります。図解が完成した暁には、それは仮に「一匹狼」であっても逞しい〈志〉を放っていることに気づかされ、図解全体の構造の一翼を立派に担っていたりするのですが、そのことに思い至るまで、こちらの〈我〉によってラベルを解釈したり、分類目線でどこかのグループに放り込んだりすることなく、あくまで全体感をバックにして訴えかけに耳を澄ませることとなります。

 KJ法は、〈渾沌〉を手際よくバランスよく〈全体〉として把握し、その〈全体〉の語りかけを己れをむなしくして〈構造化〉することによって〈本質〉を浮上させる方法、ということができます。

 今年の様々な体験は、まさに〈渾沌〉というべきですが、〈渾沌〉であるからこそ、私たちは己れをむなしくする姿勢・態度というものに目覚める契機を得たのかもしれません。

〈我〉によって安直な解釈でお茶を濁すのではなく、その意味するところを握り締め難いという不安に耐えながら、丁寧に〈渾沌〉の語りかけが明らかになるのを待つ。

 その語りかけが、この世界のあたたかな貌として顕ち上がるのを粘り強く信じて。

 

 今年も、ご愛読ありがとうございました。

 ご自愛の上、どうぞよいお年をお迎えください。

 

 

 

 

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「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2018.12.10 Monday
  • 21:03

「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」

  • 2018.12.10 Monday
  • 20:56

 

 12月1日、「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」を開催いたしました(於:京都テルサ)。

 

 今年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール(指標)」。

 夏に開催したワークショップでは、このテーマをめぐって、参加者に数百枚のラベルを提示していただきました。チームごとに「パルス討論」という技法で、効率よくバランスよく、意識的・無意識的に気にかかる事例や想いが掘り出され、今回の冬のワークショップまで「寝かされて」いたラベル達。そこから私がまず、70枚をピックアップし、この日はチームごとにさらに20枚を精選し、「狭義のKJ法」を実践していただきました。

 テーマは「メルクマール」としておりましたが、そこにこだわらず、〈常識〉〈非常識〉をめぐる私たちの気づきや想いが構造化された結果となりました。

 

 チームごとに異質な図解が完成したのですが、どの図解にも、〈常識〉〈非常識〉のあり方を通して、〈現在〉という時代への批判的な認識がくっきりと浮上していました。ことに、確固たる〈常識〉が失われ、人々が異質な〈常識〉を持つ他者への怖さを抱えている状況は顕著で、個々ばらばらの〈常識〉に怯えるゆえか、逆に単なるマジョリティーとしての〈常識〉に内面を収奪されたり、あるいはモラルと責任を欠いた〈非常識〉が不気味な感染力を持つ〈時代〉の姿が鋭利に捉えられているのは印象的でした。そして、他者を損ねることのない揺るぎない〈常識〉の価値への憧れと、社会の枠組みとしての〈常識〉を華麗に生産的に逸脱してみせる〈非常識〉への讃嘆にも、〈現在〉の置かれている状況の息苦しさ・厳しさが表われていたようにおもわれます。今回のテーマにおいても、見事に〈現在〉の本質が突きつめられたのは感慨深いことでした。

 

 創案者である川喜田二郎は、同じラベルを使っても異質な図解が完成することについて、「同じ富士山を違う角度から眺めるようなものだ」と語っていますが、確かに、チームごとに異なる表情をくっきりと浮かべている図解たちを鑑賞することで、奥深い本質に触れる醍醐味は、冬のワークショップならではのものです。

 今回もこの成果は、あらためて「作品・解説集」として参加者にフィードバックする予定です。

 

 紅葉がちょうど見ごろの京都へ、今年も全国から受講者のみなさまにお集まりいただき、熱い集中力で「渾沌をして語らしめる」体験に浸っていただくことができ、安堵のおもいです。

 主催者として、各チームを見回って作業精度を上げるように気配りいたしますが、数分もすれば、初対面も含めた老若男女が、それぞれの内面のひきだしをこれでもかとばかりさらけ出しながらほとんど無礼講で打ち解けてゆかれる様は、毎年のことながら感動するといいましょうか、見ていて頬がゆるむといいましょうか。

 

 KJ法によって創造的な営みを共有したチームに、どなたも懐かしさをおぼえて下さって、また来年も、と笑顔で帰路につかれる。今年もそんなたくさんの笑顔に出会えて心和む一日でした。

 

 

 

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「霧芯館KJ法ワークショップ2018」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 21:11

「霧芯館KJ法ワークショップ2018」

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 21:07

 

 さる8月4日、「霧芯館KJ法ワークショップ2018」を開催いたしました(於:京都テルサ)。

 過去に霧芯館の研修を受講された方々が、今年も全国から酷暑の京都にお集まりくださいました。KJ法のグループ作業を通してご交流を深め、この方法のステップアップを目指す修行の機会。

 

 

 今年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール」。

 開催趣旨は以下の通りです。

 

 今年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール(指標)」。「なんて非常識なんだ!」と誰かを非難したくなる時、あるいは「なんて常識破りの発想なんだ!」と賛嘆するとき、私たちは〈常識〉と〈非常識〉の境界線を意識します。何をもって〈非常識〉と感じるのか、そのメルクマール(指標)について議論することで、いつの間にか私たちを補強したり囲い込んだりしている〈常識〉という枠組みの本質を浮上させてみたいと思います。

 

 当日は、「パルス討論」というKJ法のディスカッションの技法によって「探検ネット」と呼ばれる図解を作成します。これは、テーマをめぐって360度の視角からデータの質のバラエティーを効率よく出し切るための技法。ここで提示されたラベル達は、冬に開催される「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」で「狭義のKJ法」によって構造化され、本質を明らかにされることとなります。

 

 今回の夏のワークショップで提示されたラベル達から、今年もいくつかご紹介しましょう。

 

・相手に伝わらない経験をすることで自分の非常識に気づく。

・伝統の土俵が女性を追い出す。

・ルールという「常識」が、声の大きい人の「非常識」にぬりつぶされる。

・世の中の「常識」の範囲が狭まってキュークツになってきた。

・自己肯定感が低いと常識を主張したくなる。

・疲れている時は、非常識と感じる他人の存在が増える。

・世の中の変化についていけない高齢者が取り残され“迷惑老人化”している。

・苦情は企業にとって宝物と化す。

・「常識がある人」に見られたいとどこかで思っている。

・常識なんてクソくらえと思っても非常識と距離をとってしまう。

・常識には「格好」がある。

・私のあたりまえはどこから来ているのだろう。

・子どもに常識は通用しない。

・今どき固定電話やFAXを使える若者はいないと思う。

・常識人と思っている人の非常識さを垣間見るとかわいいと思う。

・文科省は正しい日本語が使えることより英語教育を強化している。

・父親は転職した私を奇異の目で見ていた。

・常識は誰が決めるんだろう?

・白髪になったら自分より年上とみられる人からニコニコと座席を譲られる。

・良い大学に行き大企業に就職すると成功する常識はもはや当てはまらない。

・世の流れの2〜3歩先を見ている人は非常識に見える行動をする。

・成功・成果があるから非常識は美談になるが、失敗すればただの非常識である。

・新入社員がまるでラインみたいな2行のメールを送ってくる。

・常識もスクラップ&ビルドする。

・親が子どもの進む道を決め、障害を排除しているカーリング子育てが増えている。

・人を傷つけたりおとしめる行為を「非常識」と呼びたい。

・いつの世でも変わらないでいてほしい常識がある。

・常識は暴力になりうる。

・本当に腹を立てたポイントが他にあるのに、「非常識だ!」で置き換えることがある。

・常識の違いを楽しめるジャンルも存在する。

・炎上する人になれ、と言う人がいる。

・当たり前、常識は普段透明で気づいていない。

・非常識の感染力は強い。

・人の数だけ常識がある。

・100歳になったら何でもOKになる。

・昔はお茶もお水もおにぎりも売ってなかった。

・80歳を超えてもバリバリ外作業をしている姿は非常識な程感動的だ。

・無理が通れば道理がひっこむ。

・「私の常識では」と言う人の常識は非常識であることが多い。

・非常識と思っても、迷惑でなければ目をつむろう。

・電車の中でマスカラを塗っている女性をけげんな目で見ながらリップクリームを塗っている自分にとまどう。

・“しきたり”がうっとうしい時がある。

・常識だと思っていても自分一人だと不安になる。

・常識とは演繹法ではなく帰納法である。

・常識を操作する環境ができている。

・常識をひっくり返すことができやすい環境が生まれた。

・作品へのこだわりで20年以上アルバムを出していないアーティストから心が離れない。

・現実社会では排除される人も、ネット社会ではヒーローにもなりえる。

・常識に縛られるとワクワクした感じが減じる。

・通販で不良品を返品したら不良品が返ってきた。

・最近の子どもたちにとって、集まって遊ぶということは、一緒にYouTubeなどの動画を観ることらしい。

・「みんなそう言ってるよ」はうさんくさい。

・違和感を感じるものには可能性が潜んでいる。

・〈常識〉がくつがえるのを見るのはどこか快感である。

 

 自分が〈常識〉の側にいるのか〈非常識〉の側にいるのか、不明瞭になってきている〈現在〉の状況を感じさせるラベル達です。時には〈常識〉を味方につけ、時にはそこからはずれたいと切実に願いもする。しかし、いったい明確な境界線があるのか無いのか、何がそれを決めているのか、たいへんうさんくさいと感じてしまう。

 みなさんの率直な感覚が発露されたラベル達に、〈現在〉という時代の振れ幅が表れているように見えます。どこかグレーな〈現在〉ではありますが、譲れない境界線もありそうで、我ながらスリリングなテーマ設定をしたものだと思っています。

 

 

 

 これらのラベルも含め、数百枚のラベル達から、冬のワークショップまでに私がまず70枚を「多段ピックアップ」で択びます。冬は、各チームでその70枚からさらに20枚をピックアップし、「狭義のKJ法」グループ作業に臨みます。

 冬まで、この曖昧で不安をそそるラベル達を心に棲みつかせながら、発酵・熟成させていただくのも大切なことと考えています。

 

 非常識な暑さの京都に、非常識なテーマのためにお集まり下さったみなさまに感謝しつつ、残暑を乗り切りたいとおもいます。

 

 

 

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「霧芯館KJ法ワークショップ2017 作品・解説集」完成

  • 2018.04.28 Saturday
  • 12:57

 昨年開催いたしました「霧芯館KJ法ワークショップ2017」の「作品・解説集」が完成し、ご参加のみなさまに今年もお届けすることができました。

 

DSC08017-2.jpg

 

 KJ法における問題解決のスタンダードな型を体験しながら、〈現在〉の抱える本質的な課題に迫ることのできるワークショップですが、ご参加の思い出とともにこの冊子も「宝物です」とご感想をいただき、主催者冥利に尽きるものがあります。

 あるいは、「このところ疲れ切っていたのに、この冊子が届いて読み始めたら、思わず引き込まれて、癒されている自分に気がつきました」といったご感想に、こちらもまた癒されました。どれだけ疲れていても思わず読みふけってしまう、そういうものをお届けできたのだ、という手ごたえに、非常に勇気づけられます。

 

 昨年のテーマは「〈違い〉がわかる瞬間」だったわけですが、本物を追求する厳しさへの憧れと不安との葛藤が、作品には多々滲み出ていました。

 圧倒的な〈本物力〉の存在を認めつつも、本物であり続けることや本物を見極める行為の厳しさや孤独に対しては、ためらいが生まれます。世間一般の基準ではなく、自分なりの〈本物〉がある、という想いにも駆られます。

 それらの葛藤を超えるまなざしは、「きちんと出会えなければ意味がない」と要約できるかもしれません。いくら値打ちがあるとされる〈本物〉であろうと、自分と固有の出会い方をするのでなければ、意味がない。つまり、本物そのものの価値から、出会い方の価値へと、ラベル達によって誘われたという手触りがあります。

 

 霧芯館へお越しになるみなさまと、KJ法を通してより深く出会えるように、これからもお一人ずつとのご縁を大切にしたいと願っています。

 

DSC08052.JPG

 

 

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眉間に皺など寄せるな

  • 2018.02.26 Monday
  • 21:59

 KJ法は美しい方法です。

 美しくて温かみがあり、自分がこの方法を駆使したとき、自分を超えた〈天〉によって駆使させられたような、澄んだ解放感をおぼえます。

 

「眉間に皺など寄せるな」というのは、創案者である川喜田二郎の言葉で、「狭義のKJ法」における「グループ編成」で、ラベルたちに「表札」をつけるときの心構えとして発せられたものですが、この方法全体が私たちに語りかけてくる思想にも、いつもこの言葉が潜んでいるように感じます。

 

「表札」をつけるということは、複数のラベルを統合する文章を考えることであり、元になるラベルたちと同じ大きさのラベルに「表札」を記しますので、そこでただの「足し算」をしたり「ストーリー」を作ったりしていては、同じ大きさのラベルに収まりません。

 なんらかの仮説発想なり抽象度のアップなり本質追求なりといった適切な「飛躍」あるいは「止揚」がなければよい「表札」とは言えません。

 たとえば目の前に今から表札をつけようとする2枚のラベルがある時、いつまでも目の前に「2枚のラベルがある」と認識していると、ついつい言葉の表層だけで「足し算」的なつなぎ方をしてしまいます。

 そこで、2枚ではない、実は一つのことを言いたがっているのだ、その一つのことって何だろう、と「点メモ」を繰り広げながら、「2枚ではなく、一つの〈全体〉」をそこに展開してみます。〈全体〉がわかってきたら、粗くてもよいので「短歌」一首ひねり出すような気持ちでその〈全体〉を圧縮して表現し、さらに推敲して「表札」としての文章を整えます。

 この「2枚ではなく、実は一つの〈全体〉なのだ」、という風に発想できるかどうかが、「表札」の成否を決めるといってもよいのですが、ラベル個々の細かなニュアンスにこだわりすぎて「飛躍」ができずに「足し算」をしてしまう人もいれば、細部の異質さを切り捨てて粗雑に一つの箱に放り込むような「分類」的目線に陥る人もいれば、片方のラベルで他方のラベルを「解釈」して強引なストーリー作りをしてしまう人もいます。いずれも正しく「止揚」できていないわけですが、どれもやってはいけないと言われると、眉間に皺が寄ってしまう。

「眉間に皺など寄せるな。」

 こんな楽しい行為はないではないか、という川喜田二郎の声が聴こえてきます。

 近いけれども異質な複数のものを同時に視野に収めると、人は生き生きと発想しないではいられない生き物なのだ、というこの方法の発想力を支える認識が、使い手を豊かな創造性の沃野へと誘ってゆきます。

〈全体〉と〈個〉を往還するうちに、人は自然と〈個〉に〈志〉を感受するようになる。つまり、個々のラベルが、全体にとってなにかしらシンボリックな訴えかけを持っているように感じ始める。この感受の仕方にこそ、「渾沌をして語らしめる」というKJ法の本質が潜んでいます。

〈個〉と〈全体〉との関係が刷新されることで、私たちの世界観も刷新されます。

 まずい「表札」のように、どちらも「同じだ」といった平準化や、ゆるい仲間意識へのもたれかかりや、相手の都合のよいところだけを切り取って己れの我のために利用するような、濁った関係意識や世界観を超える方法でもあります。

 そのための、「眉間に皺など寄せるな」。

 

 方法の温かさ・優しさは厳しさでもあり、人の我欲を超えてゆく技術でもあり、最終的に東洋的な美観を呈する、澄んだ世界観に裏打ちされています。

 

 

 

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2017年を振り返って

  • 2017.12.28 Thursday
  • 18:26

 

 今年も霧芯館にたくさんの方々をお迎えし、KJ法とその世界観に、じっくり触れていただきました。

 受講された方々を対象に開催しております夏・冬のワークショップでは、「〈違い〉がわかる瞬間」というテーマでグループKJ法に取り組んでいただき、〈現在〉の抱えている課題を浮上させてまいりました。

 その中で、今年もさまざまな領域の方々と触れ合い、さまざまな現場の匂いを臨場感をもって味わう体験をさせていただくことができました。

 

 いずこの現場でも、「今の学生は」とか「今の新人は」といった嘆息が、人を育てる側から聞かれます。その嘆息の内訳のとんでもなさは目を白黒させるくらいで、こういう学生が現場に出たらどうなるんだろう、と、特に医療現場に出てゆく看護師育成の現場のお話には不安をおぼえたりします。そこには、昨今話題の「毒親」の影がつきまとっていたりもするようで、一朝一夕で若者を一人前には出来ない、根深い病理に誰もが疲弊しているのを感じます。

 それでも、育てる側の方々の、困惑しながらもしびれを切らすのではなく、学生の強みをどうすれば現場で生かせるのかと、アプローチの仕方を模索し、日々奮闘しておられる様子には頭が下がります。

 若手にKJ法でグループ作業をさせてみたところ、思いがけない集中力と粘りを発揮し、深い手応えを得られた、といったご報告を、しみじみ嬉しく感じたこともあります。

 あきらめない方々が、困惑と嘆息を乗り越えて、若者の内に秘められていたものに触れておられる気配を、間接的ですが私も深く吸い込ませていただきました。

 

 KJ法の修行の機会を、と毎年ワークショップを開催しておりますが、この修行にハマってくださる方も年々増えて、今年も夏・冬ともに盛況でした。KJ法の修行は厳しいけれども楽しいものだということに気づいていただくのが、主催者としての最大の狙いです。

 KJ法に出会う前と後では、世界風景が違ってみえる。

 そう思っていただける人を、今年もじわっと増やせたのなら、私にとって良き一年であったと振り返ることができます。

 

 日々、KJ法で風景を更新し続けておられる方々も、今年初めてKJ法で風景が変わった方々も、どうぞ良いお年をお迎えください。

 


 

 

 

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霧芯館KJ法ワークショップ 2017 其ノ二〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2017.12.19 Tuesday
  • 21:51

霧芯館KJ法ワークショップ2017 其ノ二

  • 2017.12.19 Tuesday
  • 18:41

 さる12月16日、「霧芯館KJ法ワークショップ2017 其ノ二」を開催いたしました(於:京都テルサ)。

 

 8月に行われた夏のワークショップにおいて、今年は「〈違い〉がわかる瞬間」というテーマで参加者によるディスカッションがあり、数百枚のラベルが提示されていたわけですが、冬の参加者には、そこから私がピックアップしておいた70枚を事前によく味わってきていただき、「其ノ二」当日はチーム毎に20枚のラベルを精選し、「狭義のKJ法」で構造化していただきました。

 

 今回のテーマにおける〈違い〉は、本物であるかどうか、自分が求めていたものであるかどうか、質か良いかどうか、といった意味に限定したのですが、そのことで、〈価値〉をめぐる私たちの判断の質をあぶり出したいというのがねらいでした。

 このテーマでKJ法にまっとうに取り組みますと、それぞれの〈価値観〉をぶつけ合うことにもなります。日頃、互いの価値観には触れないでおこう、相手を尊重しよう、自分と違う価値観にはそっと目をつぶろう、といった柔和で微温的な距離感で生きていたとしても、この日ばかりはそうも言っていられない、といった状況になりかねないことを少しばかりどきどきしながら期待していたのですが、この「そうも言っていられない」は素敵な形で実現致しました。

 時間内に図解を完成させるべく、各チームでメンバーが一丸となる必要に迫られたとき、異質極まりないラベル達が、メンバー全員の合意のもとに統合され、構造化され、本質を浮上させるプロセスにおいて参加者の発していた熱気は、半端なものではありませんでした。

 穏やかで口下手な人だけど大丈夫だろうか、自己主張の強い参加者に牛耳られてしまわないだろうか、世代や背景が違い過ぎてすり合わせられないのではないだろうか。そういう不安は吹き飛んでしまいました。

 誰一人無口な人はおらず、初対面同士をも含むメンバーで、おそらくは同じ職場や生活圏内での関係においては突っ込んだこともないような実存的な問いや本質的な課題をラベル群の奥に感じ取って、まっすぐやりとりしている風景というのは、一種異様な「ハレ」の空気感、お祭りのような非日常性が躍動していました。

 

 本物探しは実は自分探しの旅なのだという把握、本物を追求する・しないの〈揺らぎ〉からスタートして本物へと成長するドラマ、本物と偽物が共存する世界で揺さぶられる私たちの振れ幅の大きさ、リアルにもファンタジックにも人を変える力をもつ泰然とした本物、持続性と独創性を秘めてこその本物、カオスから本物を浮上させるドラマ、といった、異質な構造化が出そろったのですが、いずれの図解にも、〈本物〉が課してくる厳しさへの憧憬とかすかな不安が滲んでいたようにおもいます。

 

 私が事前に作成してきた、70枚全てを使った図解も披露いたしましたが、図解タイトルは「厳しさが優しさであるように」というものでした。

 存在として〈本物〉であろうとすることも、〈本物〉を見きわめることも、実に厳しい試練にさらされますし、他者にわかってもらえない孤独な追求です。本物にこだわらなくてもいいじゃないか、という気持ちに安らぎたい自分もいます。その両者は相反するように見えますが、一度〈本物〉に出会ってしまうと、世界風景は一変するのであり、〈厳しさ〉は〈優しさ〉でもあるといった境地に突き抜けてしまうようです。恋に落ちて世界風景が一変するように、厳しいのか優しいのか、そんな区別すらどうでもよくなってしまう。後戻りのきかない風景の激変を、〈本物〉は誘います。

 

 各チームの図解にも、そういう風景激変の瞬間が必ず封じ込められていて、誰もがこの日の作業を通して、その本質にしっかり触れておられたのを感じることができました。

〈本物〉のKJ法の作業は、ことのほか人をそういう境地に追い込むものです。

 妥協の無いラベルの統合をしたくて悶々としながら、その厳しい時間をこの上なく楽しんでいる自分がいる。KJ法的至福の時間に全身浴しているみなさんの顔を見ながら、私も幸せな時間を過ごすことができました。

 

 

 

 

 

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