「霧芯館KJ法ワークショップ2019」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2019.08.07 Wednesday
  • 11:33

「霧芯館KJ法ワークショップ2019」

  • 2019.08.07 Wednesday
  • 11:11

 

 さる8月3日、「霧芯館KJ法ワークショップ2019」を開催いたしました(於・京都テルサ)。

 過去に霧芯館の研修を受講された方々とそのご紹介のある方々が対象ですが、今年も、猛暑の京都へ、全国から大勢お集まりいただき、無事開催できましたことにほっとしています。

 今年のテーマは「イメージの力」。テーマ設定の趣旨は次のようなものです。

 

「イメージトレーニング」などと言われるように、時として私たちはイメージによって自分を変えてゆこうとします。逆に、イメージの持ち方がネガティヴだと、どんどん悪い連鎖に陥ってしまうことも。論理と対極的なこの「イメージ」には、どのような可能性や怖さが潜んでいるのでしょうか。イメージとどのようにつき合うことが、ものごとを良い方向へ進めることになるのでしょうか。

 

 チームごとに「パルス討論」という技法で、テーマをめぐって多彩なラベルを提示してもらいます。また、今回初めての試みとして、ラベルの提示にとどまらず、例年は冬のワークショップで実践する「狭義のKJ法」を少し先取りするような「構造化のためのトレーニングワーク」も楽しんでいただきました。

 

 

 まずは、今年のラベル達をご紹介してみましょう。

 音楽教育に携わる方々、演奏家の方々がたくさんご参加だったことも作用したでしょうか、イメージ豊かで楽しい、魅力溢れるラベルが豊富に出揃っています。

 

人のことを考えずに思い込みで行動(暴走)する原動力になる。

自分と相手とのイメージにギャップがあるとどちらかが傷付く。

風鈴は、物理的な涼しさは何らもたらさないが、イメージによって人を涼しくさせる。

幼児のイヤイヤには、これから発達するイメージ力に対するエネルギーを感じる。

見えないものって、確実にあると思う。

文学が実写化するとがっかりする。

ガンだと診断を告知された途端、ガン患者になっていく。

プラセボ(偽薬)でも鎮痛にある程度の効果が得られる。

チョコパンだと思っていたのにあんこだったりするとすごいがっかりする。

自分の“性”でない人の“性”の悩みを考えるのは容易でない。

良いイメージをなくしてしまうのは一瞬である。

アイドルは恋愛禁止だ。

一人暮らしをしているが、誰もいない部屋に「ただいま」と「行ってきます」を言うようにしている。

想像の産物が人々の命を救うこともある。

イメージは人を狂気の世界に陥らせもするし、病んだ心を癒しもする。

過去を変えることもできる。

同じものをイメージしたとしても、同じイメージを共有できるとは限らない。

万人が同様のイメージを持つものごともある。

以前の学生は文章を見て行動化できたが、今はDVDを見ないとできない。

経験値によりイメージしやすいことと、イメージしにくいことがある。

人間は、現実世界(客観)とイメージ(主観)の両方を生きている。

イメージによる飛躍がイノベーションを起こす。

死後の世界は誰も見たことがないのに多くの人が信じている。

AIはイメージできるのだろうか?

イメージの世界では何でもできる。

赤いパンツは健康になる。

高価なもの程、ご利益ありと思う。

己れの原動力を大きくも小さくもする。

100キロの体重の人が10キロ痩せる目標をたてても痩せられないが、90キロの自分の姿をイメージすればそれに近づける。

色の持つイメージの違いを効果的に使うと良い。

人と交渉する時は、ピンク色の服を着ると良いらしい。

多様なイメージができる言葉を遣って話し合うと、コミュニケーションがずれることがある。

幼児は花が開く瞬間を、大太鼓をたたいて「ドドドー」と表現していた。

子どもの想像力は経験値の低さゆえの豊かさがある。

YouTubeが最強の宣伝ツールになっている。

気がつかない間に洗脳されることがある。

ネガティブな事をイメージするとネガティブな事がおきる。

筋トレで、動かしている筋肉をイメージしてやると効果は絶大である。

日本人は、風鈴の音をきくと涼しくなると思い込んでいるので、風鈴の音で体温が下がる。足がつりそう、と思ったとたんに足がつり、42kmでフルマラソンをリタイアした。

コップを落とさないで、と小さい子どもに言うと、落としてしまう。

脳はだまされやすい。

イメージは時として、偏見・固定観念となる。

高齢者事故のニュースを見ると、もみじマークをつけている車は危ないと思ってしまう。老後をイメージすると不安でしかない。

イメージは操作される。

イメージは黒を白にでもできる。

イメージとは、自分の脳をだますために想像することだ。

幸福や不幸になるエッセンスになる。

相手に明確に伝えにくくなると、めんどくさくなって“こういうイメージ”と言ってしまう。

事実ではない、うらづけもないのに、心で描いたものにしたがってしまう。

判断材料の一つになることがある。

わざわざ北枕で寝ている。

演奏会で拍手をたくさんもらったことを想像しながら練習したら本番もうまくいった。

音楽をきいて、自分で勝手にイメージすることはとても楽しい。

頭の中でふわっとふくらむ自分のものさしのようなものかも。

世代により異なることがある。

ふと頭によぎった不安は起こってほしくないと願いすぎて現実に起こってしまった。

ピンチはチャンスだとイメージできる自分は自己肯定感が高い。

イメージとはなれすぎたギャップは人を苦しめる。

あるイメージにとらわれると、そこからはなれづらい。

習慣化することでイメージは強化される。

イメージだけ持っていても、そこに努力が伴わないと、結果には結びつかない。

一流、といわれる人は、鍛錬によって、イメージが鮮明かつポジティブに描ける。

自分の中ではぼんやりさせていても、人に伝えるときは、論理的に語る必要がある。

自分自身のイメージが一番難しい。

自分のリアルとイメージのズレは必ずある。

水に「ありがとう」といい続けるとうつくしい結晶ができたという実験があるが、あれは人のイメージが反映したと言われてもいる。

目標をイメージ化できると、苦しいトレーニングにも耐えられそう。

イメージを持続するには忍耐がいる。

毛虫に怖いイメージがなかった3歳の頃、みずから手でつついて大ケガをした。

他者の持つイメージを完全に知ることはできない。

イメージすればするほど現実離れする世界観がある。

異質なものをつなげる力がイメージにはある。

イメージの大きな飛躍が新しい芸術をうみだす。

想像のつばさは、大・小さまざまであると感じる。

猫をイメージすると幸せな気持ちになる。

楽譜を読むとイメージがふくらむ。

かみあわないイメージは想像力を広げる。

イメージがかみあわないとトラブルのもととなる。

メディア環境の変化が、人々の持つ「イメージ」の質にも変化を及ぼしている可能性がある。

素材が多いほど、実像に近づいていく。

マイナスのイメージとプラスのイメージを持つことでバランスをとっている。

楽しいイメージは無限大に拡がる。

自分のボディーイメージが曖昧な人は生き方も曖昧な印象がある。

虹を見ると宇宙の力を感じる。

 

 どの一枚を読んでも、まさにそこからふくらむ〈イメージ〉がある、そんなラベル達に、心躍る成果を感じました。これらのラベル達は、今年も今から4ヶ月ほど寝かされ、冬のワークショップ「其ノ二」において、グループKJ法で構造化される機会を待ちます。

 しかし、今回初の試みとして、全チームから1枚ずつ選ばれたラベルを〈土俵〉として、それぞれのラベルを一つの〈島〉として感受し、シンボルマークを与え、関係線を入れ、図解化する、そういう構造化のトレーニングワークにも取り組んでいただきました。

 この日の会場全体からの代表選手とも言うべきラベル達を、全チームが共有し、構造化に臨む。これはなかなかに刺激的な時間でした。

 本来の狭義のKJ法の緻密な手続きではないわけですが、「近いけれども異質な、あまり多すぎないデータ」を一望することで、人は発想力が飛躍するのであり、これはKJ法の一つの本質を生かした作業です。

 楽しい、難しい、脳みそが煮えたぎりそう、といったご感想がちらほら聞こえてきましたが、無事全チームの構造化を終え、プレゼンテーションまで持ち込むことができました。

 

 

 同じラベルを用いながら、チームによって異質な図解が完成したのですが、いずれにも、〈イメージ〉の持つ想定外の威力、私たちの合理性を吹き飛ばしてしまうパワー、身体のあり方や幸不幸やものごとの成否の鍵を握る潜在的・本質的なパワー、といった把握が見受けられました。

 冬のワークショップにおいて、さらなる精緻な構造化が期待されます。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

「霧芯館KJ法ワークショップ2018」作品・解説集 完成

  • 2019.06.17 Monday
  • 17:23

 

 昨年開催いたしました「霧芯館KJ法ワークショップ2018」の作品・解説集が完成し、ご参加のみなさまに先日無事にお届けすることができました。

 

 毎年、一つのテーマをめぐって夏・冬で完結するワークショップを続けておりますが、昨年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール」。参加者のみなさまの提示されたラベルたちが構造化されるまでを、KJ法という方法に委ねながら、〈現在〉という時代の抱えている深刻な課題を浮かび上がらせることができました。

 

 ワークショップにおける各チームの図解作品に加えて、個人として同じラベル群に向き合った図解、そして私個人の図解も含めて、さまざまな表情を持つ作品と、それに対する私の解説がまとめられています。

 

 

 このテーマによって浮かび上がった〈現在〉の姿は、例年にも増してぞくっとするほど私たちの不安や病理を的確に表していたようにおもわれます。

 世代によっても個々人によっても、もはや〈常識〉というものが共有されていないことへの不安は覆い隠し難いものがあります。共有できていないのに他者に己れの価値観を押しつける不遜さに対しては手厳しい、つまり他者性を尊重できる成熟は手に入れつつあるのですが、その成熟と背中合わせに、異質な他者への不安と個々人がアトム化してしまった孤独は深まっています。その不安と孤独にそそのかされるように〈数〉への過剰な信仰・依存が蔓延するのですが、それが病理であることすら気づこうとはしない社会の空気を、私たちは日常的に肌身に沁み込ませながら生活しています。

 参加者の提示してくれたラベルたちと構造化された図解たちには、〈現在〉に対する不安や批判の表情とともに、凛とした〈常識〉と、大胆で責任ある逸脱としての〈非常識〉への渇望が表われていました。

 

 どのような現場においても、世代間、そして個々人同士の葛藤があります。関係構築の困難さがあります。〈現在〉という時代へのなんらかの認識の深まりや問いかけがなくては、どの現場も機能しないであろうことを感じます。

 

 KJ法が、〈現場〉のささやかな声を汲み上げながら、きちんと〈現在〉と斬り結ぶ姿は、これからも私にとってすがすがしく頼もしいものであり続けるのではないか、そう思われる冊子を今回も完成させることができました。

 参加者のみなさまの熱い想いに感謝しつつ。

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

2018年を振り返って

  • 2018.12.30 Sunday
  • 17:42

 

 いったいこの体験にはどんな意味があるのだろう。

 今年に限らず、なにかしら不条理な、あるいは理不尽な体験を致しますと、その〈意味〉を握り締めるのが難しいと感じてしまいます。

 ことのほか今年は、私だけではなく、多くの方々がそのような想いに駆られたのではないでしょうか。

 

 KJ法においても、ラベルの〈志〉(ラベル群全体を背景とした個々のラベルのシンボリックな訴えかけ)がなかなか見えてこないことがあります。図解が完成した暁には、それは仮に「一匹狼」であっても逞しい〈志〉を放っていることに気づかされ、図解全体の構造の一翼を立派に担っていたりするのですが、そのことに思い至るまで、こちらの〈我〉によってラベルを解釈したり、分類目線でどこかのグループに放り込んだりすることなく、あくまで全体感をバックにして訴えかけに耳を澄ませることとなります。

 KJ法は、〈渾沌〉を手際よくバランスよく〈全体〉として把握し、その〈全体〉の語りかけを己れをむなしくして〈構造化〉することによって〈本質〉を浮上させる方法、ということができます。

 今年の様々な体験は、まさに〈渾沌〉というべきですが、〈渾沌〉であるからこそ、私たちは己れをむなしくする姿勢・態度というものに目覚める契機を得たのかもしれません。

〈我〉によって安直な解釈でお茶を濁すのではなく、その意味するところを握り締め難いという不安に耐えながら、丁寧に〈渾沌〉の語りかけが明らかになるのを待つ。

 その語りかけが、この世界のあたたかな貌として顕ち上がるのを粘り強く信じて。

 

 今年も、ご愛読ありがとうございました。

 ご自愛の上、どうぞよいお年をお迎えください。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2018.12.10 Monday
  • 21:03

「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」

  • 2018.12.10 Monday
  • 20:56

 

 12月1日、「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」を開催いたしました(於:京都テルサ)。

 

 今年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール(指標)」。

 夏に開催したワークショップでは、このテーマをめぐって、参加者に数百枚のラベルを提示していただきました。チームごとに「パルス討論」という技法で、効率よくバランスよく、意識的・無意識的に気にかかる事例や想いが掘り出され、今回の冬のワークショップまで「寝かされて」いたラベル達。そこから私がまず、70枚をピックアップし、この日はチームごとにさらに20枚を精選し、「狭義のKJ法」を実践していただきました。

 テーマは「メルクマール」としておりましたが、そこにこだわらず、〈常識〉〈非常識〉をめぐる私たちの気づきや想いが構造化された結果となりました。

 

 チームごとに異質な図解が完成したのですが、どの図解にも、〈常識〉〈非常識〉のあり方を通して、〈現在〉という時代への批判的な認識がくっきりと浮上していました。ことに、確固たる〈常識〉が失われ、人々が異質な〈常識〉を持つ他者への怖さを抱えている状況は顕著で、個々ばらばらの〈常識〉に怯えるゆえか、逆に単なるマジョリティーとしての〈常識〉に内面を収奪されたり、あるいはモラルと責任を欠いた〈非常識〉が不気味な感染力を持つ〈時代〉の姿が鋭利に捉えられているのは印象的でした。そして、他者を損ねることのない揺るぎない〈常識〉の価値への憧れと、社会の枠組みとしての〈常識〉を華麗に生産的に逸脱してみせる〈非常識〉への讃嘆にも、〈現在〉の置かれている状況の息苦しさ・厳しさが表われていたようにおもわれます。今回のテーマにおいても、見事に〈現在〉の本質が突きつめられたのは感慨深いことでした。

 

 創案者である川喜田二郎は、同じラベルを使っても異質な図解が完成することについて、「同じ富士山を違う角度から眺めるようなものだ」と語っていますが、確かに、チームごとに異なる表情をくっきりと浮かべている図解たちを鑑賞することで、奥深い本質に触れる醍醐味は、冬のワークショップならではのものです。

 今回もこの成果は、あらためて「作品・解説集」として参加者にフィードバックする予定です。

 

 紅葉がちょうど見ごろの京都へ、今年も全国から受講者のみなさまにお集まりいただき、熱い集中力で「渾沌をして語らしめる」体験に浸っていただくことができ、安堵のおもいです。

 主催者として、各チームを見回って作業精度を上げるように気配りいたしますが、数分もすれば、初対面も含めた老若男女が、それぞれの内面のひきだしをこれでもかとばかりさらけ出しながらほとんど無礼講で打ち解けてゆかれる様は、毎年のことながら感動するといいましょうか、見ていて頬がゆるむといいましょうか。

 

 KJ法によって創造的な営みを共有したチームに、どなたも懐かしさをおぼえて下さって、また来年も、と笑顔で帰路につかれる。今年もそんなたくさんの笑顔に出会えて心和む一日でした。

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

「霧芯館KJ法ワークショップ2018」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 21:11

「霧芯館KJ法ワークショップ2018」

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 21:07

 

 さる8月4日、「霧芯館KJ法ワークショップ2018」を開催いたしました(於:京都テルサ)。

 過去に霧芯館の研修を受講された方々が、今年も全国から酷暑の京都にお集まりくださいました。KJ法のグループ作業を通してご交流を深め、この方法のステップアップを目指す修行の機会。

 

 

 今年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール」。

 開催趣旨は以下の通りです。

 

 今年のテーマは「〈非常識〉のメルクマール(指標)」。「なんて非常識なんだ!」と誰かを非難したくなる時、あるいは「なんて常識破りの発想なんだ!」と賛嘆するとき、私たちは〈常識〉と〈非常識〉の境界線を意識します。何をもって〈非常識〉と感じるのか、そのメルクマール(指標)について議論することで、いつの間にか私たちを補強したり囲い込んだりしている〈常識〉という枠組みの本質を浮上させてみたいと思います。

 

 当日は、「パルス討論」というKJ法のディスカッションの技法によって「探検ネット」と呼ばれる図解を作成します。これは、テーマをめぐって360度の視角からデータの質のバラエティーを効率よく出し切るための技法。ここで提示されたラベル達は、冬に開催される「霧芯館KJ法ワークショップ2018 其ノ二」で「狭義のKJ法」によって構造化され、本質を明らかにされることとなります。

 

 今回の夏のワークショップで提示されたラベル達から、今年もいくつかご紹介しましょう。

 

・相手に伝わらない経験をすることで自分の非常識に気づく。

・伝統の土俵が女性を追い出す。

・ルールという「常識」が、声の大きい人の「非常識」にぬりつぶされる。

・世の中の「常識」の範囲が狭まってキュークツになってきた。

・自己肯定感が低いと常識を主張したくなる。

・疲れている時は、非常識と感じる他人の存在が増える。

・世の中の変化についていけない高齢者が取り残され“迷惑老人化”している。

・苦情は企業にとって宝物と化す。

・「常識がある人」に見られたいとどこかで思っている。

・常識なんてクソくらえと思っても非常識と距離をとってしまう。

・常識には「格好」がある。

・私のあたりまえはどこから来ているのだろう。

・子どもに常識は通用しない。

・今どき固定電話やFAXを使える若者はいないと思う。

・常識人と思っている人の非常識さを垣間見るとかわいいと思う。

・文科省は正しい日本語が使えることより英語教育を強化している。

・父親は転職した私を奇異の目で見ていた。

・常識は誰が決めるんだろう?

・白髪になったら自分より年上とみられる人からニコニコと座席を譲られる。

・良い大学に行き大企業に就職すると成功する常識はもはや当てはまらない。

・世の流れの2〜3歩先を見ている人は非常識に見える行動をする。

・成功・成果があるから非常識は美談になるが、失敗すればただの非常識である。

・新入社員がまるでラインみたいな2行のメールを送ってくる。

・常識もスクラップ&ビルドする。

・親が子どもの進む道を決め、障害を排除しているカーリング子育てが増えている。

・人を傷つけたりおとしめる行為を「非常識」と呼びたい。

・いつの世でも変わらないでいてほしい常識がある。

・常識は暴力になりうる。

・本当に腹を立てたポイントが他にあるのに、「非常識だ!」で置き換えることがある。

・常識の違いを楽しめるジャンルも存在する。

・炎上する人になれ、と言う人がいる。

・当たり前、常識は普段透明で気づいていない。

・非常識の感染力は強い。

・人の数だけ常識がある。

・100歳になったら何でもOKになる。

・昔はお茶もお水もおにぎりも売ってなかった。

・80歳を超えてもバリバリ外作業をしている姿は非常識な程感動的だ。

・無理が通れば道理がひっこむ。

・「私の常識では」と言う人の常識は非常識であることが多い。

・非常識と思っても、迷惑でなければ目をつむろう。

・電車の中でマスカラを塗っている女性をけげんな目で見ながらリップクリームを塗っている自分にとまどう。

・“しきたり”がうっとうしい時がある。

・常識だと思っていても自分一人だと不安になる。

・常識とは演繹法ではなく帰納法である。

・常識を操作する環境ができている。

・常識をひっくり返すことができやすい環境が生まれた。

・作品へのこだわりで20年以上アルバムを出していないアーティストから心が離れない。

・現実社会では排除される人も、ネット社会ではヒーローにもなりえる。

・常識に縛られるとワクワクした感じが減じる。

・通販で不良品を返品したら不良品が返ってきた。

・最近の子どもたちにとって、集まって遊ぶということは、一緒にYouTubeなどの動画を観ることらしい。

・「みんなそう言ってるよ」はうさんくさい。

・違和感を感じるものには可能性が潜んでいる。

・〈常識〉がくつがえるのを見るのはどこか快感である。

 

 自分が〈常識〉の側にいるのか〈非常識〉の側にいるのか、不明瞭になってきている〈現在〉の状況を感じさせるラベル達です。時には〈常識〉を味方につけ、時にはそこからはずれたいと切実に願いもする。しかし、いったい明確な境界線があるのか無いのか、何がそれを決めているのか、たいへんうさんくさいと感じてしまう。

 みなさんの率直な感覚が発露されたラベル達に、〈現在〉という時代の振れ幅が表れているように見えます。どこかグレーな〈現在〉ではありますが、譲れない境界線もありそうで、我ながらスリリングなテーマ設定をしたものだと思っています。

 

 

 

 これらのラベルも含め、数百枚のラベル達から、冬のワークショップまでに私がまず70枚を「多段ピックアップ」で択びます。冬は、各チームでその70枚からさらに20枚をピックアップし、「狭義のKJ法」グループ作業に臨みます。

 冬まで、この曖昧で不安をそそるラベル達を心に棲みつかせながら、発酵・熟成させていただくのも大切なことと考えています。

 

 非常識な暑さの京都に、非常識なテーマのためにお集まり下さったみなさまに感謝しつつ、残暑を乗り切りたいとおもいます。

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

「霧芯館KJ法ワークショップ2017 作品・解説集」完成

  • 2018.04.28 Saturday
  • 12:57

 昨年開催いたしました「霧芯館KJ法ワークショップ2017」の「作品・解説集」が完成し、ご参加のみなさまに今年もお届けすることができました。

 

DSC08017-2.jpg

 

 KJ法における問題解決のスタンダードな型を体験しながら、〈現在〉の抱える本質的な課題に迫ることのできるワークショップですが、ご参加の思い出とともにこの冊子も「宝物です」とご感想をいただき、主催者冥利に尽きるものがあります。

 あるいは、「このところ疲れ切っていたのに、この冊子が届いて読み始めたら、思わず引き込まれて、癒されている自分に気がつきました」といったご感想に、こちらもまた癒されました。どれだけ疲れていても思わず読みふけってしまう、そういうものをお届けできたのだ、という手ごたえに、非常に勇気づけられます。

 

 昨年のテーマは「〈違い〉がわかる瞬間」だったわけですが、本物を追求する厳しさへの憧れと不安との葛藤が、作品には多々滲み出ていました。

 圧倒的な〈本物力〉の存在を認めつつも、本物であり続けることや本物を見極める行為の厳しさや孤独に対しては、ためらいが生まれます。世間一般の基準ではなく、自分なりの〈本物〉がある、という想いにも駆られます。

 それらの葛藤を超えるまなざしは、「きちんと出会えなければ意味がない」と要約できるかもしれません。いくら値打ちがあるとされる〈本物〉であろうと、自分と固有の出会い方をするのでなければ、意味がない。つまり、本物そのものの価値から、出会い方の価値へと、ラベル達によって誘われたという手触りがあります。

 

 霧芯館へお越しになるみなさまと、KJ法を通してより深く出会えるように、これからもお一人ずつとのご縁を大切にしたいと願っています。

 

DSC08052.JPG

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

眉間に皺など寄せるな

  • 2018.02.26 Monday
  • 21:59

 KJ法は美しい方法です。

 美しくて温かみがあり、自分がこの方法を駆使したとき、自分を超えた〈天〉によって駆使させられたような、澄んだ解放感をおぼえます。

 

「眉間に皺など寄せるな」というのは、創案者である川喜田二郎の言葉で、「狭義のKJ法」における「グループ編成」で、ラベルたちに「表札」をつけるときの心構えとして発せられたものですが、この方法全体が私たちに語りかけてくる思想にも、いつもこの言葉が潜んでいるように感じます。

 

「表札」をつけるということは、複数のラベルを統合する文章を考えることであり、元になるラベルたちと同じ大きさのラベルに「表札」を記しますので、そこでただの「足し算」をしたり「ストーリー」を作ったりしていては、同じ大きさのラベルに収まりません。

 なんらかの仮説発想なり抽象度のアップなり本質追求なりといった適切な「飛躍」あるいは「止揚」がなければよい「表札」とは言えません。

 たとえば目の前に今から表札をつけようとする2枚のラベルがある時、いつまでも目の前に「2枚のラベルがある」と認識していると、ついつい言葉の表層だけで「足し算」的なつなぎ方をしてしまいます。

 そこで、2枚ではない、実は一つのことを言いたがっているのだ、その一つのことって何だろう、と「点メモ」を繰り広げながら、「2枚ではなく、一つの〈全体〉」をそこに展開してみます。〈全体〉がわかってきたら、粗くてもよいので「短歌」一首ひねり出すような気持ちでその〈全体〉を圧縮して表現し、さらに推敲して「表札」としての文章を整えます。

 この「2枚ではなく、実は一つの〈全体〉なのだ」、という風に発想できるかどうかが、「表札」の成否を決めるといってもよいのですが、ラベル個々の細かなニュアンスにこだわりすぎて「飛躍」ができずに「足し算」をしてしまう人もいれば、細部の異質さを切り捨てて粗雑に一つの箱に放り込むような「分類」的目線に陥る人もいれば、片方のラベルで他方のラベルを「解釈」して強引なストーリー作りをしてしまう人もいます。いずれも正しく「止揚」できていないわけですが、どれもやってはいけないと言われると、眉間に皺が寄ってしまう。

「眉間に皺など寄せるな。」

 こんな楽しい行為はないではないか、という川喜田二郎の声が聴こえてきます。

 近いけれども異質な複数のものを同時に視野に収めると、人は生き生きと発想しないではいられない生き物なのだ、というこの方法の発想力を支える認識が、使い手を豊かな創造性の沃野へと誘ってゆきます。

〈全体〉と〈個〉を往還するうちに、人は自然と〈個〉に〈志〉を感受するようになる。つまり、個々のラベルが、全体にとってなにかしらシンボリックな訴えかけを持っているように感じ始める。この感受の仕方にこそ、「渾沌をして語らしめる」というKJ法の本質が潜んでいます。

〈個〉と〈全体〉との関係が刷新されることで、私たちの世界観も刷新されます。

 まずい「表札」のように、どちらも「同じだ」といった平準化や、ゆるい仲間意識へのもたれかかりや、相手の都合のよいところだけを切り取って己れの我のために利用するような、濁った関係意識や世界観を超える方法でもあります。

 そのための、「眉間に皺など寄せるな」。

 

 方法の温かさ・優しさは厳しさでもあり、人の我欲を超えてゆく技術でもあり、最終的に東洋的な美観を呈する、澄んだ世界観に裏打ちされています。

 

 

 

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