世界観を着替える

  • 2016.10.30 Sunday
  • 19:07

 最近、少しずつ不用品の断捨離を試みているのですが、さっぱりした本棚、さっぱりした部屋に近づくにつれ、「捨てる」という行為は実は、抽象度の高いビジョンへの決断なのかもしれない、と感じるようになりました。捨てているようで、本当はある一つのビジョンを択びとろうとしている自分がいて、そのことが快感なのだと気づきました。

 

〈渾沌〉の明晰な構造化を導くKJ法もまた、完成した図解によって抽象度の高い風景をもたらしてくれます。

 既成のカテゴリーに仕分けする〈分類〉という行為でもなく、全体を細分化して再構成しようとする〈分析〉という行為でもなく、「渾沌をして語らしめる」という創造的な営みとしてKJ法が機能するためには、私たちは「この世界をどのように感受するのか」という世界観からハラを据えて着替えねばなりません。

 霧芯館の研修では、いわばこの〈世界観の着替え〉によって、得体の知れないラベル達が受講者にとってかけがえのない意味を持つ風景として転生するに至る、濃密な時間を過ごしていただくことになります。

 完成した図解が実現している抽象度というものは、分類や分析による機能的だけれどもよそよそしいシステムを形づくるのではなく、個々のデータの〈土の香り〉を残した、非観念的な象徴性を有するものであり、創案者である川喜田二郎によって人間の野性的な本性として見きわめられた〈個〉と〈全体〉の有機的な感受の能力に基づいて、創造的に発想される〈本質〉というものを、私たちに開示してくれます。

 そこでは、抽象的であるということは、具象的な〈土の香り〉と矛盾するものではないのです。むしろ、抽象度が上がることによってこそ、〈土の香り〉が匂い立つような営みです。

 何十枚、何百枚というラベル群も、10束以内になるまで統合され、その数束は図解上で〈島〉として配置され、各島には〈シンボルマーク〉と呼ばれる概念が与えられます。島同士が関係線で結ばれ、構造が明らかになることで本質を把握できる感動は、根底から〈世界観の着替え〉を行った者でなければ味わえないものです。

 統合が繰り返されて抽象度が高まる時、下位のラベルは決してそのニュアンスを捨てられることなく新たな概念として表現されるべきであり、この方法には、「捨てる」「断念する」といった場面がありません。全体感を背景にしつつシンボリックに個々のラベルを感受して本質を発想することで統合する、そこにこの方法の核心と醍醐味がありますが、〈全体〉の感受も、その本質の感受も、個々人と渾沌とのやりとりの中で多彩な可能性に開かれていながら、ある一つの〈決断〉へと収束します。この方法の〈決断〉という姿勢、〈主体性〉という概念の豊饒さが実現されるべき場面です。

 何一つ切り捨ててはいないし、こちらの〈我〉を働かせてはいないのに、渾沌がクリアな相貌として訪れることの潔さ、とでもいいましょうか。

 

 部屋の、特に本棚の断捨離を進めながらふと、私はこのことで〈欲〉を捨てようとか何かを手放そうなどと思っているのではなく、自分にとってみずみずしい風景、呼吸が楽になる懐かしくも新鮮な風景を獲得したいという〈欲〉に、むしろ激しく衝き動かされているように感じられました。そのような〈欲〉が湧いてくることが我ながら面白く、生活の中にささやかな〈決断〉という節目を意識するのは、それがどれほどささやかなことでも、世界観の確認と深く結びついていることを噛みしめつつ、秋晴れのような潔くて陰影のある風景を日々目指しているところです。

 

 

 

 

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