〈想い〉はどこにあるのか

  • 2017.04.29 Saturday
  • 16:09

「現場がKJ法で変わってきています。」

「職員の今までの思い込みが払拭されて、利用者さんの立場に立つってどういうことか、みんな考え始めました。」

「研究発表しますと、KJ法で構造化されると患者さんの想いがよくわかる、と、私たち看護師仲間の評判がいいです。」

「KJ法で図解にされて初めて、自分達の現場の状況がどういうことになっているのかわかりました。」

「とてもまとまらないだろうと思っていたのに、合意形成できました。」等々、嬉しいご感想を受講者からいただくことがあります。やはりKJ法が現場できちんと活かされているというお話に、なによりこちらも勇気づけられます。

 

 では、KJ法で構造化されなければ、何がそんなに困難なのでしょうか。

 

 自分達が生身で触れている現場であるはずなのに、顧客や利用者や患者や自分達自身の〈想い〉に誰よりも詳しいはずの方々なのに、その〈想い〉をもてあましているのはなぜでしょうか。

〈量〉では測れない〈想い〉、つまり〈質〉を相手にしている。

 そして、その〈質〉が雑多で混沌としている。

 KJ法に辿り着かれる方は、概ねご自身のフィールドに対して、この二つのハードルを越えたいと望まれるのですが、この二つは、結局一つの本質的なハードルを指し示しているとおもわれます。

 つまり、〈量〉ではなく〈質〉でフィールドを把握したいと望んでも、〈質〉を〈量〉に換算する目線から逃がれられない、というハードルです。

 いろいろな〈質〉のバラエティーが目の前に整理された状態を生み出すだけなら、ただのブレーンストーミングでも可能でしょう。

 では、それらの〈質〉のバラエティーの、どれが一番多くの顧客や利用者の想いなのか、といった具合に、結局は多数決に持ち込む発想から逃がれられない。最も多くの数が集中している〈質〉を原因であるとか本質であるとか決めつけることで、結局は〈全体〉を把握しそこなってしまう。何かを切り捨て、犠牲にしている感覚に、釈然としない気持ちになる。誰かのニーズに合わせることが、他の誰かのニーズを殺してしまう。

 しかし、現場の方々は、ご自身が触れた、患者さんや顧客のふとした一言が生々しく気になって仕方がないのです。ここで殺された〈想い〉をそのままにして、組織は、現場は、果たしてほんとうの意味で生きのびられるのだろうか、と。

 パソコンソフトでグラフにされた結果からはこぼれ落ちてしまう、しかし、その一言こそが現場の状況のゆるがせにできない何かを表現していると思われてならない。

 そんな感受性が活かされるためには、やはりKJ法によって、データを「シンボリックに感受」しながら〈全体〉の訴えかけを構造化し、その本質把握への道筋を見出すしかないのであり、〈質〉を〈量〉に換算することなく、むしろ〈量〉も〈質〉へと転換して感受し、すべての〈質〉を一つの〈本質〉へと転換する必要が生じてきます。

 そのようにして把握された〈本質〉から解決策を見出してゆくのでなければ、いびつな〈全体〉観に規定された恣意的な〈原因〉探索に導かれて、方向性は歪むばかりです。

 

 一方でまた、〈質〉の扱いにも困惑がつきまといます。

 現場に生きていれば、具体的な〈質〉のバラエティーなら日々いくらでも目にするわけですが、それらはあくまで「今日はAさんがこう言った。」「今日はBさんがこんな希望を口にされた。」といった具体性にとどまります。何か大切な訴えかけが潜んでいる、とその場で感じてはいても、「高齢者は」「消費者は」「患者は」「利用者は」といった抽象度において、それらが何を訴えかけているのか、多忙な現場で明らかにしてゆくのは至難のわざです。

 そこでも、適切な〈抽象〉という行為によって、個々の具体性の「土の香り」を残しながら統合し、構造化へと導けるのは、正しいKJ法の世界観と方法論があればこそであり、ちょっと意識がゆるめば、それらの〈抽象〉もまた、ずさんな「観念化」へと滑りこみ、ただの分類へと堕してしまいます。

 

 あるいは、「Aさんがこう言った」という一つのデータに対して、全体を無視した感情移入を野放しにすることも、本質把握をいびつなものにします。観念的な使命感や、個人的なトラウマや実体験との接点から、誰か一人の発言への思い入れが強くなってしまうといった場合です。個々の語りに対して、放恣な解釈や想像力をはばたかせるのではなく、〈全体〉を背景としてどのような〈質〉の訴えかけを持つのかについての、適切な感受が必要です。

 

 このように、〈量〉へのとらわれを脱していても、〈質〉を個人的な思い入れや観念的な分類へと回収する目線から脱することがまた、困難になっているのです。

 

〈質〉にこだわるということは、単に〈量〉で測れないものに根拠を求めるというだけではなく、〈全体〉を、この世界を、どのように把握するのかという〈世界観〉を立て直すハードルに直面するということです。そのハードルを見ないことにしてやり過ごしながら対症療法的な手立てへと駆り立てられるだけでは、とても対処できない状況というものが、〈現在〉を覆い尽くし、いずれの現場も混迷を深めています。だからこそ、変わり始めてもいるようです。

 

 既成の世界観によっては決して手に入れることのできない羅針盤というものがあります。現場の底から浮かび上がる羅針盤です。

〈想い〉は、いたるところで生かされる機縁を待ち望んでいるようです。

 

 

 

 

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