刃の奥の光るまで

  • 2017.07.31 Monday
  • 15:09

 連日の猛暑。

 ブログも暑苦しくなく書くことができて、涼しく読んでいただけるのがよいかとおもい、今回はいくつかの夏の俳句、そして季節をちょっと先取りした秋の俳句を楽しんでみたいとおもいます。

 

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり   三橋鷹女

 

「夏痩せ」したことと、「嫌いなものは嫌いだ」という自己主張との「取り合わせ」が張りのある句です。

 俳句における「取り合わせ」は、「つかず離れず」が良いと言われます。つまり、あまりにも露骨な因果関係で密接すぎるのも良くないし、飛躍が大きすぎて、読者に連想を働かせることが出来ないのも良くない。ほどよい異質さが互いを引き立て合うのが良い。(ちょっとKJ法に似ています。近いけれども異質な、いくつかのものを同時に視野におさめると、人は発想しないではいられない、そういう楽しさを、俳句もKJ法も身にまとっています。)

 ですからこの句も、夏痩せしてでも嫌いなものは食べないといった好き嫌いではなく、人生観としての「嫌い」の一徹さを感じ取るのが面白いでしょう。

 夏痩せしているのに、作者の病的な面持ちは想像できず、むしろ背筋のしゃんと伸びた姿が想い浮かびます。

 

 水晶を夜切る谷や時鳥   泉鏡花

 

 水晶で細工物が作られるのでしょうか。「谷」という異空間に隠れ里のような幻想性の響き、しかもわざわざ「夜」切るという営みに、芸術的な孤独さが匂います。明治の文豪が、小説によって〈日常〉の奥にとびっきりの〈非日常〉を紡ぎ出す時空間を生きていた、その息づかいが「時鳥(ほととぎす)」の声と響き合ってしんしんと神秘的です。

 

 刃(は)の奥の光るまで研ぐ夕ひぐらし   上野さち子

 

〈日常〉の料理の道具としての庖丁を、夕暮れに研ぐことで、また次の日の〈日常〉の準備をする。その営みが、「ひぐらし」と取り合わせられることで、〈非日常〉の声を聴く営みに変容します。「刃の奥の光るまで」はつまり、庖丁なら庖丁の真の命、魂、そういうものが光るまで、研ぐ。日常的な営みとは別の場所に非日常があるのではなく、日常に徹することで日常が底光りし始める。それこそが、一如となった真の日常・非日常であり、〈生〉の底光る姿なのだと。鏡花の句と対比すると、対照的でもあり実は連続しているとも感じられて刺激的です。

 

 一条の激しき水や青薄   松本たかし

 

 潔さが魅力的な松本たかしの句です。

 まだ穂の出ない青々とした薄(すすき)は夏の季語。それをひとすじほとばしる激しい水に喩える鮮やかさ。写生が象徴に転じるときの醍醐味をずばりと感じさせてくれます。

 

 真直ぐ往けと白痴が指しぬ秋の道   中村草田男

 

「降る雪や明治は遠くなりにけり」で有名な草田男の句ですが、大好きな句の一つです。

 今日では、「白痴」というだけで差別用語だ、などと騒がれそうですが、人々が共同体というものをベースにして生きていた頃の、常人ならざる魂の持ち主への、むしろおおらかな畏怖が感じられ、コスモロジーの広やかさを見せつける句だとおもうのです。

 あるいは、この作者(明治34年生まれ)においても既に、伝統的な共同体のコスモロジーからの乖離があり、その自意識がこういう句を作らせたのかもしれませんが。

 どの道を往こうか。

「秋の道」はもちろん、人生における岐路の象徴でありましょうが、「真直(ます)ぐ往け」と、白痴が指し示す。それを啓示として、おおらかに従う感受性は、私たちのこわばった世界観を解きほぐしてくれます。

 私たちは、岐路に立たされたとき、どんな涼しげな選択が出来るでしょう。

 

 旧暦ではもうすぐ秋。

 涼しげな魂で季節を楽しみたいものです。

 

 

 

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