2010年と1910年

  • 2010.02.06 Saturday
  • 17:03

 NHKスペシャル「無縁社会・無縁死3万2千人の衝撃」(2010年1月31日放送)を観ました。
 家族とも地域とも会社ともつながりを失って、〈無縁死〉と名づけるしかない死に方をした人が、2008年には全国で3万2千人も存在したことに衝撃を受け、NHKが調査・制作したドキュメントです。
 大河ドラマ「龍馬伝」のすぐ後に放送されたこの番組には、幕末以降の精神史的な暗部が現在においてどのように集約的に表われているか、象徴的に感受させる迫力がありました。

 この10年、地方都市は一気に衰退が進み、かつて上京して孤独に働き続けた人々が、帰るべき故郷を失い、都心での〈無縁死〉を迎える。そんな人々の遺品整理を自治体から請け負う「特殊清掃業者」というビジネスの急成長。家族も引き取らない遺骨を供養し続ける寺や無縁墓地。
 家族に代わり、死亡後の葬儀・納骨・遺品整理などを行うNPOの窓口には、生前に契約を結ぶ孤独な単身者が殺到。会員は急増する一方。若くして契約を結ぶ人々も増えているとのこと。
 高卒後、大手都市銀行に勤め、家族よりも会社を優先し続けた挙句の熟年離婚により、生涯の夢「家族団らん」を失い、糖尿病と鬱病とに苦しみながら、自身と会社の栄華とが一体化していた時代の思い出を、かつての大量の取引先の名刺や会社の発展史の記録を見つめながら回顧する、初老の男性の凄惨なまなざしは、観る者の心胆を寒からしめる迫力がありました。
「全部自分に(ツケが)返ってきた。今みたいなかたちで。」と自虐的な微笑みをかみしめる男性の表情に、胸を衝かれた視聴者も多かったことでしょう。

 ドキュメントはさまざまな物理的な孤独の周辺を洗い直しているのですが、それらが実は精神的な孤独の象徴でしかないことを、観る者は否応なく身体の深部に抱え込まされます。
 単身の高齢者ばかりではなく、一見、家族や友人にもめぐまれ、何不自由ないとおもわれる若者たちの内面には、より一層酷薄な荒涼たる孤独の風景が拡大・増殖していることを、いささかでも現在のなにがしかの〈現場〉に触れている人ならば、少なくとも無意識では感受していることでしょう。
 私自身、KJ法を必要とされる方々との関わりを通して、かつて私たちを支えてきた、自明とおもわれていたさまざまな共同性の保護膜が、いたるところで崩壊していることを目の当たりにします。
 それをうやむやにしてきたことの「ツケ」は、ずいぶんと長く積み重なっているとおもわれます。

 1910年(明治43年)に刊行された石川啄木(明治19年〜45年)の歌集『一握の砂』に、次のような一首があります。

 解剖(ふわけ)せし
 蚯蚓(みみづ)のいのちもかなしかり
 かの校庭の木柵の下

 KJ法創案者である川喜田二郎が、生前よく明治の40年代について、「天地浩然の気が失われた。」と悲憤しておりましたが、啄木のこの短歌には、「腑分け」すなわち「解剖」というまなざしによってずたずたにされた同時代の大衆の「いのち」への、悲憤と愛惜がこもっていて象徴的です。
 己れ自身も含めて、腑分けされた「蚯蚓」のようなわびしいいのちへと矮小化されてしまった、その精神的な風景の〈剥落〉のすさまじさは、明治においてはことのほか極限的なものがあったでしょう。
 そのことへの本質的な内省の持ち越された100年の「ツケ」。

 NHKスペシャルの「無縁社会」というタイトルには、私たちがどんな場所からものごとをとらえなおさなければならないかについての内省を促す契機がひりひりと刻み付けられているようでした。

JUGEMテーマ:教育
 

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