〈かごめかごめ〉雑感

  • 2011.10.11 Tuesday
  • 22:32
 今夏(8月6日)開催いたしました、「霧芯館 KJ法ワークショップ」のテーマは「〈かくれんぼ〉ができない私たち」でした。
〈かくれんぼ〉を象徴的にとらえる発想のディスカッションを通して、〈現在〉の病理の本質を浮かび上がらせる試みです。
〈かくれんぼ〉の〈鬼〉を、〈死〉や〈病〉や〈老い〉や〈他者〉ととらえるなら、私たちの〈かくれんぼ不全〉の状況は深刻です。
 また、〈かくれんぼ〉という遊びが、シンプルでありながら人生の底知れない深みを提示することにもまた、畏れの感覚を抱かずにはいられません。
 参加者のディスカッションの成果としての「探検ネット」図解には、象徴としての〈かくれんぼ〉をめぐるさまざまな事例やその本質への洞察が散りばめられ、それぞれの現場の痛みがにじみ出ていました。参加者の想いや怒りが、あるべき〈かくれんぼ〉から個々人を遠ざけている社会に対して、またその中で内面を空洞化させてゆく個々人に対して、しっかりと向けられていたことは、主催者の私にとって実に意義深いことでした。

〈かくれんぼ〉ばかりではなく、古くから伝わる子どもの遊びのいくつかには、今なお戦慄すべき〈生〉と〈死〉のリアリティーの振幅がこもっているようにおもわれます。

 民俗学者の柳田國男によれば、〈かごめかごめ〉という遊びの起源は、「神降ろし」にありました。一人を数人が輪になって取り囲み、神の託宣をとりつがせるのです。そこで選ばれる子どもは、「因童(よりわらわ)」などと呼ばれます。

「一通りの方法で所要の状態に至らない場合は、一人を取り囲んで多勢で唱え言をしたり、または単調な楽器の音で四方からこれを責めたりした。(中略)今もまま事と同様にこれを模倣した小児の遊戯が残っている。「中の中の小坊主」とか「かアごめかごめ」と称する遊びは、正しくその名残である。(中略)我々の祖先たちは、むしろ怜悧にしてかつ空想の豊かなる児童が時々変になって、凡人の知らぬ世界を見てきてくれることを望んだのである。」(柳田國男「山の人生」(1926年)、『遠野物語・山の人生』岩波文庫版所収)

 異界の消息を聴くことが、ムラに生きる上でいかに大切なことであったかがしのばれます。異能を持つ者、異界に近しい資質を持つ者、あるいはムラの外からやってくる者たちは、ときに貴重な消息を告げるまで、取り囲まれて責めたてられるほどに。

 この〈かごめかごめ〉という遊びにひそむ〈強迫〉の感触を浮かび上がらせた表現として、GACKT(ガクト)の「Vanilla」という楽曲のプロモーションビデオは出色の出来栄えです。
 1999年、ソロ活動を開始させて日も浅いGACKTの2ndシングル「Vanilla」は、軽快で退廃的な曲相が、サビであやしくファルセット(裏声)に脱けて不穏なエロティシズムを解放してみせる、GACKTファンには人気のナンバーです。

 ah いくつ朝を迎えれば ah 夜は終わるのだろうか
 ah 空に散りばめられた ah 白い花に囲まれて逝く(「Vanilla」より)

〈終わらない夜〉(=不条理の繰り返される現実)に追い詰められてこそ、他界的・幻想的なユートピアに向けて飛翔するエネルギーが炸裂するのだという、GACKTらしいマゾヒスティックなロック魂がポップに韜晦されていて、複雑な聴きごたえがあります。
 この曲のプロモーションビデオにおける〈かごめかごめ〉の遊戯は、GACKTというアーティストが資本主義の業界において商品を世に送り出すという営為にまつわる、彼の悲喜劇的な異和感のメタファーとして感受することができます。
 どことなくナース服のパロディーめいた紅白のユニフォームを着て、〈かごめかごめ〉の輪のように、檻(あるいは透明なケース)の中で歌い踊るGACKTを囲繞する無機的な表情の一団はシュールで不気味です。
 透明なケースは、GACKTの背後でときに閉じ、ときにわずかに開いて、この〈拘束〉が実は、当人が気づかぬだけで、出ようと思えば出られる檻なのだという演出も周到です。
 異能の才を持つGACKTに、突出した、ただし売れる商品を生み出せと迫る、顔の無いユニフォームの一団は、彼の才能を搾取・消費することで、フラットな日常に一時的に風穴を開けつつも、集団としてのアイデンティティーへ素早く復帰してゆく者たちでしょう。
〈個〉として担うべき課題を放擲したうつろさの病理への批判が小気味よく、また、〈サイボーグ〉や〈ヴァンパイア〉というメタファーを、繰り返しライブの物語世界の核に据えたがる、GACKTの異形意識の根深さが想われます。

 芸能界で突出した表現を生む、という営為ならずとも、私たちはこれに似た〈かごめかごめ〉の〈鬼〉の不安を、社会生活の中でしばしば刻まれているようにおもいます。
 組織の中で、否、義務教育をくぐり抜ける過程ですでに、誰もが大なり小なり刻まれる傷であるかもしれません。
 どこか自分は人とちがう、集団になじめない、他者がこわい、人とちがうことをいつも責められているような恐怖・・・。
 そういう自分をもてあましたことのない人はいないでしょう。
 ムラとその外側にある異界、そのような異質さのメリハリや豊かなシンボリズムを社会が失くせば失くすほどに、個々人の内面は〈他者〉を極度に恐れるようになったとも言えましょう。
 共同体の課題として類的に担われていたものを、徹底的に〈個〉として担わねばならなくなったのが〈現在〉である、とも。

〈かくれんぼ〉や〈かごめかごめ〉という遊戯にはらまれる孤独の質感は、そこから目をそらすなと、時代をこえて端的に訴えかけているようにおもわれます。





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