渾沌を息づく

  • 2014.03.30 Sunday
  • 21:45



 昭和二年、「ぼんやりした不安」に呑み込まれて自ら命を絶った芥川龍之介は、大正九年、「赤い鳥」に「魔術」という寓話を発表しています。
 バラモンの秘法を学んだという若い魔術の大家“ミスラ君”を訪れた主人公の“私”が、鮮やかな魔術に魅せられて自分も習得しようとするのですが、ほんの二、三分見させられた夢の中で愚かしい慾に足をすくわれ、魔術を使う資格の無いことを露呈してしまうというお話です。
 夢の中で主人公は、習いたての魔術を友人たちに披露し、暖炉の中の真っ赤な石炭を無数の金貨に変じてみせます。ところが友人たちの狡猾な口車にのせられてその金貨を元手にカルタ勝負をするうち、うかうかと慾を引きずり出され、大一番の勝負にこっそり魔術を使ったとたん、引き当てた“王様(キング)”の札に嘲笑されながら主人公は夢から醒めるのです。
「私の魔術を使おうと思ったら、まず慾を捨てなければなりません。あなたはそれだけの修業が出来ていないのです。」(引用は、以下も、講談社文芸文庫『日本の童話名作選 明治・大正篇』2005年刊による)と“ミスラ君”に宣告された主人公は、その後どのような人生を歩んだのでしょう?

 この短編を読むと、プーシキンの『スペードの女王』やバルザックの『あら皮』を想起しないわけにはゆきません。
『スペードの女王』では、必勝の三枚の札の秘密を、謎めいた老伯爵夫人を死に追いやってまで手に入れた主人公の青年ゲルマンは、やはり大勝負で全てを賭けたカルタの札に嘲弄され、発狂します。
『あら皮』はさらに血も凍るメタファーで、人の欲望と破滅の振幅をこってりと描き尽くした作品です。若くして人生に絶望した青年が、どんな欲も叶えるが欲望を一つ叶えるたびに持ち主の命とともに縮んでゆく“あら皮”を手に入れ、欲するたびに縮みゆく“あら皮”=自分の命を凝視しながら、欲しないで生きる術の無い時間を残酷に苦しみぬいて激烈な破滅を迎える壮絶な小説です。壁に貼り付けた“あら皮”の輪郭をなぞって、縮んでゆく様を視認する残酷さ、燃やしても井戸に投げ込んでも青年の元に戻ってくる“あら皮”の不気味な命、手のひらほどに縮んだ“あら皮”がするすると滅する瞬間の恐怖・・・。欲望をこれほど恐ろしいメタファーで描き上げた作品はあるまい、とおもわせるものがあります。

 主人公を破滅させることなく、二、三分の夢でさとして帰した芥川は、優しい作話をしているな、と思われるとともに、その優しさは実は、凄絶なおびえに根ざしたものであったかもしれないと、痛ましくも感じられます。
 道理では統御し難い欲望や、感情や、衝動の闇というものに、芥川は人一倍おびえながら、人一倍激しく惹きつけられていたように思われます。これほど怖れているものにこれほど惹きつけられたなら、心が壊れずには済まされまい。そんな引き裂かれた苦しみが、芥川の表現を特徴づけているのではないかと思われます。
“ミスラ君”の優しいたしなめでお茶を濁したのも、「私がハッサン・カンから学んだ魔術は、あなたでも使おうと思えば使えますよ。高が進歩した催眠術に過ぎないのですから。」と“ミスラ君”に言わしめているのも、“慾を捨てる修業”の問題に帰したのも、人を呑み込んでしまうカオスを怖れる芥川の、命がけのニートな枠組みづくりであったかもしれません。
 生をむさぼり脂ぎった欲望に呑み込まれることもなく、逆にそのようなカオスを激しく忌避して現世離脱の衝迫に蝕まれ血の通わぬ幽鬼のような存在になることもなく、健やかにこの世界を望むことは、なかなかに至難のわざ、と思われます。
 ちょうど過食と拒食が同じ不安を本質に抱え持つように、むさぼることと忌避することは往々にして同根の病理でありましょう。
 そこには、カオスに安んじることができない自分への根深い対立感情が潜在して、ダークな不安の雲を絶え間なく湧き上がらせているように思われます。
 慾を捨てることにではなく、カオスとしての世界を安んじて生命的に息づくことのために、修業は必要なのでしょう。

〈混沌〉ではなく〈渾沌〉という表現を好んだ川喜田二郎もまた、ただのカオスではなく、ダイナミックな生命性の源としてのカオスを、その思想の根底に据えたかったのであろうと、花々のほころぶ季節にふと、“馥郁”ということばを愛した人のたたずまいがなつかしく想い出されます。




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