まなざしの分水嶺

  • 2015.06.28 Sunday
  • 18:42

 以前、大学で「住環境デザイン」を学ぶ学生さんたちとご縁がありましたが、その一人が大学を卒業後、自作の散文詩をまとめたものを送ってくれました。
 一篇一篇が珠玉の作品で、みずみずしい幼児性が青枯れずに成熟するというのはこのような感受性において可能なのだ、とおもわせる、内省的な抒情性が美しい表現でした。
 
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   潮汐の目撃者    
                             田中亜梨紗
 
世界が染め変わってゆくさまを、見たことがある
 
それは 深くこべりついていた汚れが、ぱらぱら剥がれ落ちていったような
一筋の光が差し込んできたと想えば、一気に身体を光に囲われてしまったような
黒の石ばかりで敷き詰められていた碁盤が、たった一枚の白によって すべてひっくり返ってしまったような
 
あのひといきに満ちてきたものを、
どれだけの言葉を、どんな配置で並べたのなら伝えられるだろう
 
それでも歌のフレーズによくある夜明けとは、あんな景色をいうのだろう
だから それを口ずさむアーティストを、同じ景色を見たのだと勝手に身近に想う
 
誰しもが見れるわけではないものを 確かに目撃した
誰に悟られるわけでなく、ただ一人で噛みしめていた
感動は余韻を長く深く残し、世界を変えたことを、人はわたしを見て後になってから気付く
 
あの衝動は 海を渡っていても 山を越えていても不思議なことではなくて
世界は本気で臨んだなら、ひと手間で、一瞬で、望む色に染め変えることができる
 
あの衝動の際、確かにわたしの足もとを波がさらった
その波は、今も世界を覆うように漂い続けている
波は満ちた側と干いた側、どちらの岸へも人を運ぶ
わたしは世界を慕える満ちた側へと誘われたけれども、
今、波に足元をなでられたひとの進行方向が、どちらかは測れない
 
世界はひとつ、それは確かなことなのに、リバーシブルな表情を持っている
 
満ちた側の人は世界のつるつるした面に触れていて、顔をうずめても 身体を預けても気持ちがよくて、
隣人の手は暖かくて、景色は輝かしく眼まで届けられる
 
干いた側の人はザラザラとした面に触れていて、肌をこすりつけて痛みを覚えて、
次はこすりつけないようにと、身体を縮こませて閉鎖的になってゆく
人の爪の鋭さが気になって、ずっと目の前で砂嵐が起きているような景観なのだ
 
今のわたしは、波が額にまで届くまでになっていて、ずっとこれからも浸ったままでいたのなら、
どんな状況にも潤えない、渇いていた季節の自分を、いずれは忘れてしまうのだろうか
失くしてしまいたい想い出なのに、大事にとっておきたい氣もするのは何故だろう
それを知るために、動いて、食べて、寝て、創ることを生の中で繰り返していくのだろうか
 
満ち干しのちょうど中間地点まで降り立ち、両側の人を見つめてみる
干いていた頃の自分を恥ずかしく想うのは、もうよそう
両側に浸ったことのある自分だからこそ、ふり幅を大きく世界と人を見つめてゆける
そして、出来る限り、干いた側の住人を満ちた側へ呼び続けよう
イヤミや負担にならない程度に、微力だとしても、わたしからも波を起こし続けることは出来る
 
あの潮汐のとき、わたしは十七歳になっていた
同年代が青春時代と呼べる頃、わたしは真っ白になった
 
波に乗り、陸へ辿りつき、自分の足で歩き始める
 
ようやく、生まれてきた

 
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 素直に味わうなら、縁ある読み手は、己れの内の「転生」の瞬間を呼び寄せることができるでしょう。そして、この社会の内のいかなる「ディバイド」よりも深く見極めなければならないのは、この作品の中で描かれている「ディバイド」なのだと気づくなら、私たちは己れの世界観の透度を命懸けで更新しなければならない。そういう内省へと読み手を誘う衝迫力が、ものしずかな文体に滲んでいます。
 
世界は本気で臨んだなら、ひと手間で、一瞬で、望む色に染め変えることができる
 
 このフレーズに「本気で臨む」ことのできる縁ある読み手はこの世界に少なからず存在するのであり、彼らの身体のささやかな変容の惹き起こす〈波〉によって、さまざまな空疎な観念や欺瞞や狂騒や不条理感が洗い晒され、世界はいずれ本質的な転生を実に涼しげに遂げてみせるだろうと想われます。
 そういう過激で静謐な分水嶺を、この作品はくっきりと明示しているかのようです。
 
 霧芯館でKJ法に出会うことで、このような「転生」を味わう方もおられます。
 この方法が、本質において「世界観」の更新に関わるものだからです。
 たった1日の研修で触れた、ケーススタディのためのたった20枚のラベルによって、そんなことが可能になるのか、と、受講されたご本人が最もびっくりしておられるわけですが、完成されたKJ法図解に、初めて出会う、しかし懐かしい己れ自身の貌を見出すことで、受講者は「潮の満ちた側」へと歩み出すのであり、「ようやく、生まれてきた」ことを深く知ることになります。




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