ふたたび〈神隠し〉
- 2009.10.25 Sunday
- 20:11
JUGEMテーマ:教育
柳田國男(1875〜1962年)の『山の人生』には、〈神隠し〉に関する記述が多くみられます。
子どもがいなくなったとき、現在では誰も「神隠しにあったにちがいない」とは考えませんが、明治期にはまだまだ〈神隠し〉として「鉦(かね)や太鼓」で迷子を捜すことが多かったようです。
この「鉦・太鼓」を使用することの意味について柳田は、「それは本来捜索ではなくして、奪還であった」からだと述べています。
このシンプルな表現は、狭義のKJ法における〈表札づくり〉の極意にも通じる、象徴的な発想力と的確な抽象、そして無駄の無いことばの斡旋によって表現された世界風景の奥ゆきを感じさせます。
「鉦・太鼓」という「音の出る楽器」のイメージにとらわれるならば、迷子に捜索者の存在を知らせるためであるという意味から逃がれられなくなるところですが、現実的で合理的な因果関係の枠にしばられないならば、「鉦・太鼓」に託された民俗社会の世界観の質が浮かび上がってきます。
ただの迷子ではなく、〈神隠し〉として異界に隠された子どもを、異界の側の神から奪還するための「鉦・太鼓」。単に音が大きいからというだけではなく、ある種の呪力をもつ楽器によって、異界の神へはたらきかけようとしていたという認識。そして「本来捜索ではなく」という前置きには、今は忘れられがちではあるが、といった批判のニュアンスも込められています。
川喜田二郎の創案したKJ法は、文化人類学(民族学)を母胎の一つとして生まれました。
その発想力には、種々の事例・データを全体感を背景として象徴的に感受して〈質〉に転化するという特徴があります。
狭義のKJ法における〈ラベル集め〉や〈表札づくり〉において、「因果関係によるストーリー」をつくるのがタブーであるのも、この特徴をよく表しています。
「鉦・太鼓」の例で言えば、その音の大きさと迷子とを安直に結びつけるのではなく、豊富な「鉦・太鼓」の事例の語る意味に耳をかたむけるならば、人々が異界をどのように認識していたかという世界観の質にまでことばの力を及ぼすことができます。
そのためには、「因果律」という枠組みから一度解き放たれる必要があります。
神隠しなど前近代の遺物にすぎず、現実に起こっていたのは子どもの不注意や誘拐や事故だったにちがいない、といったとらわれ。人間や世界の振幅に対する狭小な決めつけ。
本来、これらを排したところから、民族学や民俗学は対象を把握・認識してゆく学問であるはずです。
柳田民俗学の起点にある『遠野物語』(明治43年)は、〈自然主義〉という狭小な世界観に基づく文学理念への反発から執筆されたことはよく知られているところです。
民族学者・川喜田二郎の壮大な文明論の本質にも繋がる、世界観の振幅の奪還への志が、二つの学問に通底しているようにおもわれます。
この志が、KJ法とともに大切に継受されることを願わずにはいられません。
柳田國男(1875〜1962年)の『山の人生』には、〈神隠し〉に関する記述が多くみられます。
子どもがいなくなったとき、現在では誰も「神隠しにあったにちがいない」とは考えませんが、明治期にはまだまだ〈神隠し〉として「鉦(かね)や太鼓」で迷子を捜すことが多かったようです。
この「鉦・太鼓」を使用することの意味について柳田は、「それは本来捜索ではなくして、奪還であった」からだと述べています。
このシンプルな表現は、狭義のKJ法における〈表札づくり〉の極意にも通じる、象徴的な発想力と的確な抽象、そして無駄の無いことばの斡旋によって表現された世界風景の奥ゆきを感じさせます。
「鉦・太鼓」という「音の出る楽器」のイメージにとらわれるならば、迷子に捜索者の存在を知らせるためであるという意味から逃がれられなくなるところですが、現実的で合理的な因果関係の枠にしばられないならば、「鉦・太鼓」に託された民俗社会の世界観の質が浮かび上がってきます。
ただの迷子ではなく、〈神隠し〉として異界に隠された子どもを、異界の側の神から奪還するための「鉦・太鼓」。単に音が大きいからというだけではなく、ある種の呪力をもつ楽器によって、異界の神へはたらきかけようとしていたという認識。そして「本来捜索ではなく」という前置きには、今は忘れられがちではあるが、といった批判のニュアンスも込められています。
川喜田二郎の創案したKJ法は、文化人類学(民族学)を母胎の一つとして生まれました。
その発想力には、種々の事例・データを全体感を背景として象徴的に感受して〈質〉に転化するという特徴があります。
狭義のKJ法における〈ラベル集め〉や〈表札づくり〉において、「因果関係によるストーリー」をつくるのがタブーであるのも、この特徴をよく表しています。
「鉦・太鼓」の例で言えば、その音の大きさと迷子とを安直に結びつけるのではなく、豊富な「鉦・太鼓」の事例の語る意味に耳をかたむけるならば、人々が異界をどのように認識していたかという世界観の質にまでことばの力を及ぼすことができます。
そのためには、「因果律」という枠組みから一度解き放たれる必要があります。
神隠しなど前近代の遺物にすぎず、現実に起こっていたのは子どもの不注意や誘拐や事故だったにちがいない、といったとらわれ。人間や世界の振幅に対する狭小な決めつけ。
本来、これらを排したところから、民族学や民俗学は対象を把握・認識してゆく学問であるはずです。
柳田民俗学の起点にある『遠野物語』(明治43年)は、〈自然主義〉という狭小な世界観に基づく文学理念への反発から執筆されたことはよく知られているところです。
民族学者・川喜田二郎の壮大な文明論の本質にも繋がる、世界観の振幅の奪還への志が、二つの学問に通底しているようにおもわれます。
この志が、KJ法とともに大切に継受されることを願わずにはいられません。
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