創造と再生―鷺森神社宵宮祭雑感―

  • 2010.05.07 Friday
  • 23:15
JUGEMテーマ:地域/ローカル

 霧芯館があるのは京都市の松ヶ崎という地域で、この地名、古くは『源氏物語』にも登場します。
 おとなりが修学院地域。ここの氏神社は鷺森神社で、スサノオノミコトが祀られています。
 五月五日はこの鷺森神社の例祭。子ども神輿の巡行時の掛け声から「さんよれ祭」とも呼ばれています。
 今年は五月四日の宵宮祭をぶらりと訪れてみました。

 午後七時頃に行ってみますと、舞楽の奉納も既に二曲目の演目途中。境内はそれを見守る氏子たちと、これから始まる神輿巡行を担う白装束姿の男衆でいっぱいでした。
 舞の奉納が済むと、「ほな、そろそろ神さん乗せますよってー。」と威勢のよい声。神輿巡行をリードする「梶取りさん」の声でしょうか。
 間もなく数十人の男衆に担われて、本殿から舞殿前へと神輿が慎重に石段を降ろされてきます。
「ひとつにぎやかーにお願いします。」「一本締めてから行きますんでよろしくー。」などと声が掛かったかと思うと、男衆の頭上に高々と掲げられた神輿が、「ほいっとー、ほいっとー。」の掛け声とともに上下左右に激しく揺さぶられます。一気に境内一帯は壮烈に立ち上る熱気に包まれました。





 境内のかがり火から火を移された竹のたいまつ、提灯、鉦・太鼓の響き、勇壮な掛け声。参道を下って神輿は町内へと繰り出します。
 舞楽の奉納が見られればよいかな、くらいに思っていましたら、予想外の男祭りの、それもおよそ観光化されていない熱気につられ、巡行にくっついて夜の町内をぐるりと一周してしまいました。

「神輿を揉む」というようですが、方向転換を要する辻々では(単に方向転換のためだけではなく、「辻」とは古来霊にとって意味深い場所です)、台車から離された神輿が再々激しく揺さぶられます。その内では、繰り返し渾沌にたたき返されてはエネルギーを賦活されているスサノオの神霊が、男衆とともに相当なハイテンションになっていることは間違いありません。
 何度目かの辻では、「振舞い出てますんで、召し上がってください。」との声。
 女衆、子ども衆がお盆にたっぷりのおにぎりやゆでたまごやお茶を捧げて男衆に振舞っています。ささっと配置されるタバコの吸殻入れやゴミ箱。「ありがとうございましたー。」と心のこもったお礼の声。
 神霊と、巡行の直接的な担い手と、地域の人々と。
 この夜のなめらかで自然な彼らの一体感は、見ていて心地よいものでした。



 沿道に出て巡行を見守る人もいれば、家の中で、鉦・太鼓の響きやこだまする掛け声や気配だけを感じ取る人もいたでしょうが、西に向かってなだらかに傾斜した地域を高みから見下ろしていると、闇に包まれた地域全体が〈巡行〉という営みを呼吸している感触がありました。
 そもそもはこのような祭りの巡行は、災厄をもたらすものを追い払ったり屈服させたりといった意味合いであったでしょうが、眼前の熱いリアリティーとしては、農地も住宅地も商業地も区別なく、いわば修学院一帯がすべてスサノオのフェロモンを闇の中で浴びて強大なパワーに呼応し、相貌を新たにしているといった趣きが強く感じられました。

 言ってみれば祭りそのものが一つの大きな〈再生〉の装置ですが、「神輿を揉む」という行為も、そのたびに神霊の脱皮・再生を繰り返し促しているという印象を受けました。
 各地にはもっと激しい「揉み」方をする祭りもあるようで、神輿をぶつけ合ったり、海に漬けたり。ともかく神霊とは、揉まれることで機嫌が悪くなるものではないようです。

 KJ法という方法も、思えば祭りのような局面をはらんでおり、方法全体も一つの〈再生〉のシステム。その中の多彩な各技法にも、イメージを渾沌に返しては再生へと導くプロセスが多々含まれています。イメージたちが渾沌の中でぶつかり合い、創造のエネルギーを賦活される体験の真髄は、まっとうな研修によって、ぜひきちんと味わってもらいたいところです。

 渾沌をもちこたえるダイナミックで粘り強い時間。そういう時間を経てなにかを生み出すということの重みやよろこびを身体で腑に落ちる〈再生〉の体験があればこそ、祭りの後の日常が支えられるようにおもわれます。


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