2010年を振り返って

  • 2010.12.28 Tuesday
  • 17:55
 2009年には川喜田二郎が逝去いたしましたが、今年2010年もまた、身近な人を何人か亡くし、〈死〉と不思議な出会いとに彩られた、私にとってはまぎれもなく生涯わすれがたい一年となりました。

 今年もKJ法を通して意義深い出会いがたくさんあり、いまだその意味の了解しがたい出会いもまたたくさんあり、その中には、〈死〉のすぐそばをご自身の〈現場〉としていらっしゃる方も大勢いらっしゃいました。
 医療や高齢者の介護の現場がまさに〈死〉と隣り合わせの毎日であり、患者さんや高齢者の方々の言葉にならない精一杯のおもいをなんとか汲み取りたい、少しでも希望に満ちた生活を送れるように援助したい、という熱い願いをKJ法に託してくださった方々が、こつこつと精進し、修練を積んでいらっしゃいます。

〈死〉のイメージは、〈老い〉や〈病〉の帰結点としてのみ私たちをおびやかしているわけではありません。
 本来、人の手のぬくもりやうるおい、肌ざわり、触れ合う人の熱気や息づかいとともになされてきたことが無機的な代替物によって機械的に処理されていったり、すべての努力や意味が金銭的な価値や既成の序列にのみ変換されてしまったり。人との主客融合的なダイナミズムの喪われたデジタルな風景や荒廃した生態系や、因果律によってみすぼらしくも不吉な宣告を受けてその宣告通りに萎縮してしまう私たちの貧しい身体や、他者も自身も肯定する力を失くして孤立し、悪しき依存に走る心や、硬直して活力を失った民族や組織や地域共同体や・・・。
 いたるところに〈死〉のイメージは蔓延し、私たちの息づかいを浅く、身体を硬くさせてしまっていますが、そんな〈現在〉においても、澄んだお志をもつ方々と、今年もKJ法を通して出会えたことは、とても幸福なことだとおもいます。
「言語に障害をもつ子どもたちに、CDではなく生の音楽の演奏を聴かせると、言葉が出てきて表情が戻るんですよ。」
「車いすで外へ買い物に連れ出すだけで、お年寄りが日ごろ見せなかった好奇心を発揮して、いろんなものを指さしたりお話になったりするんですよ。」
「(なにかが良い方へ変わるときの)発芽直前の種が殻をぴりっと破いたときのような感触がありました。これが無ければなにも始まらないんです。」等々、現場で闘う方々の言葉には、大言壮語がありません。ささやかな気がかりをおろそかにせず、肌で触れ合ってものごとを確かめ、着実に変えてゆこうとする誠実な粘り強い意志が充ち充ちています。そしてなにより、自身や他者に対する浅薄な決めつけがありません。
「私たちのからだって、まだまだわかっていないことがいっぱいあるとおもうんですよ。」
「ちょっと工夫してみたり、環境が変わるだけで、お年寄りでもまだまだこんなにいろんなことが出来るんだっておもいますね。」
「私たちのチームケアで、お医者様の宣告を裏切って、その患者さん、回復して退院されたんですよ。」
〈現場〉ならではの強靭な言葉とまなざしに、たくさんたくさん触れることができました。

 KJ法の研修という限られた場においてですが、熱いしなやかな意志をもつ方々とのかけがえのない時間を過ごせましたことを、今年の大切な収穫として、あたたかい気持ちで年を越したいとおもいます。

 霧芯館の研修を受講してくださった皆様、また、このブログをいつもお読みくださっている方々、どうぞよいお年をお迎えください。



霧芯館のある京都市の松ヶ崎で出会った野生の鹿です。


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