虚無の影
- 2011.11.30 Wednesday
- 17:26
わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし
(『田園に死す』1965年刊・所収)
寺山修司(1935〜1983)の短歌作品です。
「花粉」には、「花」という存在の全体性から切り離され、〈生殖〉という特化したメカニズムだけを担ってあてどなく浮遊する、あやうくも観念的なエロスのイメージが漂います。
その息で「花粉」をどこまで飛ばそうとも、決して「青森県」を越えることはない・・・。
自身が「花粉」のように濫作する多彩な表現によっては、己れを拘束する枠組みを越えることはあり得ないのだということを見据える、哀切な一首です。
「青森県」は寺山の故郷であり、歌集『田園に死す』には、〈近代〉によって痛めつけられひび割れた土俗の、歪んだ〈闇〉が酷薄に濃密に描き出されています。
「越ゆる由(よし)なし」には、「越えることができない」のではなく、自身の営為にはそもそも「越える」ことを可能にする根拠が存在しないのだ、という虚無の影がひらめきます。
戦後間もなく、短歌という形式に〈虚構性〉を華麗に導入したとされ、短歌・俳句・詩・評論・演劇・映画等、さまざまなジャンルの表現に過食症的な激しさで己れを駆りたてていった寺山ですが、その一見〈自由〉な前衛的表現も、彼のとらわれている世界と同一平面上にむなしく「花粉」を増殖させていったに等しく、自ら増殖させたいびつな世界風景によって自家中毒を起こしたような最期が痛ましくおもわれます。
この短歌作品が戦後生まれの読者にとっても生々しいとすれば、私たちを息苦しく取り巻く可視的な世界の枠組みの強度を、寺山にとっての青森県が象徴するからでありましょう。また、その枠組みを越えることのできる身体というものを、きちんと信じられるかと問われれば、誰もが躊躇うからでありましょう。
KJ法を通して私が出会う方々は、いずれも触れれば血の噴き出るような現場を抱えておられます。
医療や福祉や教育の、特に今年の現場の切迫感には、問題の本質を否応なく直視させるものがあります。
被災地に駆けつけ、津波と瓦礫の汚泥にまみれた被災者の衛生状態を気遣って「足湯」のケアを繰り返すとき、高齢者のオムツを交換することに介護士の誇りを感じるとき、虐待の兆候に目配りするとき、自殺企図からギリギリで生還した方に向き合うとき、彼らは皆一様に、それを物理的なボディーへのケアであるとは考えません。
人々が何に苦しんでいるのか、ボディーへのケアを通して何が変わり、何を届けることができるのかと問うています。
そのとき彼らは、無意識裡にではあっても、寺山が直面した可視的な世界の枠組みを越えようとしているように、私にはおもわれます。
そのように問題を立てるのでなければ、そもそも自身が医療や福祉に関わろうとすること、自身が自身であることの意義が、根底から崩れ去ってしまうのだ、といった切迫感を、ことに若い世代から印象づけられます。
彼らは観念的に「こころが大切」とお題目を唱えているのではありません。優しさを売り物にしたいわけでもありません。偽善は大嫌いな人たちです。
ただ、自分自身の直面している苦しさ・生き難さが、傷つき弱い立場にある人々の強いられている不条理と、あまりにも深く象徴的にクロスするのだという感覚を、ごまかせないのだとおもうのです。
彼らが大切にする「情」や「こころ」は、ヴァーチャルな癒しでも気やすめでもありません。寺山が越えようとして越えられなかった場所を、ささやかだけれどもリアルに越えたところにある感触です。
身体的なその振幅の安堵と確信のために、泥にまみれた足が洗われ、オムツが換えられ、手が握りしめられたり、まっすぐに目がみつめられたりしています。
そのような不可視の振幅への〈信〉と個々の肉体の輪郭の確かさとは、本来矛盾するものではないはずです。
KJ法という方法もまた、不可視で理知ではとらえ難い〈渾沌〉と、個々のラベルに輪郭をもって記されたデータとの、不明瞭な関係に耐えながら作業を進め、霧のような〈渾沌〉の芯をリアルなものとして手にするに至る、そういう方法です。
近現代史にこびりついた寺山的虚無の影というものを、粘り強く払拭してゆく闘い。
巨大な不条理によって、自らの内なる虚無の影を励起されながらも、そういう闘いを推し進めている人々との出会いによって、日々勇気づけられています。
JUGEMテーマ:日記・一般
- KJ法+レビュー
- -
- -
- -