2013年を振り返って

  • 2013.12.28 Saturday
  • 19:33

「これまで抱いてきた科学観、研究観がひっくり返るような経験をさせていただきました。いまだに少し呆然としております。」

 この一年の仕事の中で、ことのほかKJ法の凄みを感じさせられたのは、受講者のこんな言葉でした。
〈個人KJ法1日体験コース〉という、たった6時間の研修の中で、ひとりの人の長年親しんできた価値観をひっくり返すことができるKJ法とは、いったいどういう方法なのだろう。
 なりわいとしていながら、あらためて方法論としてのKJ法の凄みを感じないではいられませんでした。

 個人であれ、組織であれ、「鍛えてほしい」というニーズを強く感じたのも、今年の特徴であったかもしれません。
「霧芯館は道場です。」と繰り返している私のブログやホームページをご覧になっての上でありましょうに、今年もたくさんの方が全国から受講しに来られました。
 KJ法によってしか鍛えることのできないものに、人々の目が注がれているという、心強い潮流を体感できたことに、感謝の念を抱きます。

 霧芯館の研修によって、受講者はKJ法に出会い、たいてい強度の衝撃を受けられるのですが、それは受講者が自分自身の未だ出会っていなかった、あるいは出会い切れていなかった領域と出会うことの衝撃でもあります。
 KJ法という方法は、人間の自然な本性ともいうべきものへの創案者の深い洞察が繰り込まれた方法です。
 人が本来自然に駆使している能力。駆使することで創造性が刺激されて身体的な歓びをおぼえる能力。それらをあくまで実践的な技法としてクリアに体系化し、定着させていることで、人はKJ法を通して自分自身の本来性に目ざめるのです。
 そこに歓びが伴うのは、そのトレーニングがただの苦行ではなく、「もっともっと自分と出会えるよ」「まだまだ出会っていない自分がいるよ」というポジティヴな励ましを、方法そのものから受け取ることができるせいでありましょう。

 川喜田二郎の提唱した「野外科学」という開放的な科学観に支えられ、KJ法は人々の深い望みを刺激し続けてやみません。
 渾沌とした世界と出会い、他者と出会い、自分自身と出会うこと。
 その「出会い」には新鮮な懐かしさがいつもつきまといます。
 こんな自分や他者や世界に「初めて」出会った、という感慨は常に、こんな自分や他者や世界こそが本来のあり方だ、それを自分は身体のどこかで「既に知っていた」という感慨と背中合わせです。
 ちょっと初恋、を想わせますね。

 2014年も、KJ法と恋に落ちてくださる方々がたくさん現れることを祈って。

 今年はあまりこのブログを更新できませんでしたが、更新を心待ちにして下さっているみなさま、ご愛読ありがとうございます。

 どうかよいお年をお迎えください。








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「霧芯館KJ法ワークショップ2013其ノ二」

  • 2013.12.16 Monday
  • 20:03

 さる12月14日、「霧芯館KJ法ワークショップ2013其ノ二」を開催いたしました。(於:関西セミナーハウス)
 

 また、翌12月15日は、せっかくワークショップ会場が洛北の景勝地にあるのだからと、近隣の寺社をめぐり、散策会といたしました。

会場の「関西セミナーハウス」内の茶室の傍で、水底に沈んだ紅葉と映り込みが独特の世界を醸し出していました。


 今年の夏の「霧芯館KJ法ワークショップ2013」において、「“寄り添い”の哲学」というテーマのもとに、参加者の作成した「探検ネット」図解から、すでに私がピックアップしておいた70枚のラベルをベースに、12月14日は、そこから各チームごとに30枚をさらに多段ピックアップで精選し、グループKJ法で狭義のKJ法図解完成をめざしました。

 昨年のワークショップでリーダーを務めた方にはサブリーダーとして補佐役をお願いして、今年はリーダー初体験の方に作業をお任せしました。
 チームワークも良く、どのチームも終始生き生きと実に楽しそうに作業しておられ、閉会の頃にはどなたも充実感のある笑顔から一層の活力がにじみ出ておられるのが印象的でした。

 
 
 完成図解からは、「寄り添い」の本質が、チームごとに個性的に把握されたことがわかります。
「寄り添い」という行為の限界をわきまえつつ「共にある」ことの意味をかみしめるビターだけれども豊かな価値観の滲む図解。「過剰さ」という病理にのみこまれないような距離感に意義を見出した図解。完全には分かり合えないという認識の上にそれでもなおあくまで「寄り添う」力業を丁寧に追求した図解。「寄り添い」という関係性が開示する人間そもそもの本質に迫る図解。「この世」と「あの世」の認識の境目で揺らぐ「寄り添い」への「技」を力強く希求する図解。丸腰の個人をからめとる悪しき社会性を超えるまなざしを示唆する図解・・・。
 いずれの図解においても、「寄り添い」が非常に繊細な危うさ・もろさを抱えた営為であり、現在の関係性の病理と背中合わせであることをきちんと認識した上で、それが真に意味のある営為として成立する方向性をスリリングに模索しています。

 昨年以来、参加者は腕を上げたな、という感慨とともに、誰もがこの「KJ法」という作業の中で、〈現在〉の本質と斬り結んでいることに深い感銘を受けました。



 12月15日の散策会では、会場近隣の曼殊院、圓光寺、鷺の森神社などを巡りましたが、紅葉の盛りは少し過ぎていたものの、参加者には初冬の京の風情を満喫していただけたかとおもいます。

圓光寺「十牛之庭」にて。



















 散策地一帯は、修学院、一乗寺と呼ばれる地域です。修学院離宮を造営した後水尾天皇、曼殊院の密教のパワー、圓光寺の臨済宗の空気感、鷺の森神社の祭神スサノオノミコトのパワー、ととりどりのパワーと空気感に包まれて、古来、カオスとのスタンスを工夫しながらみずみずしく生きようとした人々の思索の痕を感じていただければと、散策会を企画してみました。
 

 KJ法も、カオスを相手どる方法です。
 霧のような渾沌からみずみずしい芯を紡ぎだすその営みの魅力は、なかなか語りつくせるものではありませんが、研修やワークショップの体験を通して、少しでもこの世界の風景が変容したと感じてもらえたら、といつも祈念しています。








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「霧芯館KJ法ワークショップ2013其ノ二」風景(参加者のみ閲覧可)

  • 2013.12.16 Monday
  • 19:14

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