「霧芯館KJ法ワークショップ2014」

  • 2014.08.16 Saturday
  • 13:53
 さる8月9日に開催されました「霧芯館KJ法ワークショップ2014」。
 今年も全国から霧芯館での研修受講者のみなさまにお集まりいただきまして、熱い1日を過ごすことができました。
 台風が接近する中、欠席者もありましたが、この日こそ1年のメインイベント、との想いを抱いてご出席くださる方々が、一つのテーマのもと、ぞんぶんに語り合う時間の貴重さ・重さ・豊かさに、今年も感慨深い1日でした。





 今年のテーマは「<リアル>の手触り」。
 このテーマの趣旨について、参加者にお配りした解説文は以下のようなものでした。

「私たちがなにかを〈リアル〉だと感じるのはどんな時でしょうか?
その感触を記憶の中にまさぐるとき、私たちは対極の〈リアルでないもの〉についてもおもいをめぐらします。私たちを〈リアル〉から遠ざけているものについても。そしてようやく〈リアル〉の貴重な手触りをじんわりと握りしめることができるような気がいたします。
その感触は、おおきな変化の瞬間であったり、忘却や否定的な決めつけの向こう側に追いやっていたものの蘇生の瞬間であったり、得体の知れないなつかしさであったり、思い切った決断であったり、さまざまな変容や衝撃と結びついていることでしょう。
漠然とした〈リアル〉というイメージを、この夏のワークショップにおいては遠慮なく「私の〈リアル〉」という個別的・具体的な体験や印象によって語り合ってください。それらが「普遍的な〈リアル〉」の概念へとどのように煮詰められてゆくのかは、冬のワークショップでの「グループKJ法」による構造化・本質追求の機会にゆだねたいとおもいます。
観念的な高所・大局からのありきたりの社会批判に陥ることなく、ささやかな事例や体験が、ボトムアップで粘り強く本質的な概念へと昇華されてゆく時間を、みなさまと共有できればとおもいます。」

「パルス討論」の時間には、この趣旨にのっとって、各チームで「探検ネット」が作成されました。そこに提示されたラベルたちの中から、いくつかご紹介したいとおもいます。

「生演奏を聴いていて涙が流れるほど心がゆさぶられることがある」
「『リア充』という言葉が流行るほど、リアルとバーチャルの世界が曖昧になっていると感じる」
「若者たちも温もりを感じないことを痛みとして感じている」
「自己紹介で『人見知りです』と言う学生が増えている」
「子どもが結婚してリアルに子育てが終わったと感じた」
「目に見えるリアルな評価が数字だけである」
「リアルな人間関係よりもバーチャルが楽なのでそちらへはまる」
「『リアル』をどうoffしたらいいのか方法がわからない」
「高齢者の社会にもいじめの問題が渦巻いている」
「相手が自分の想定したリアクションをしなかった時のあせった状態がリアル」
「認知症の人同士の恋愛」
「『エアー』な感覚が日常に溢れている」
「怒った人の唇がふるえているのを見ている時」
「座敷童(ザシキワラシ)に出会った時、目に見えるものだけが現実でないことを知った」
「虐待児が薄皮をはぐように変わる時」
「電車を乗り越したとき、自分の疲れの限界を感じた」
「四十肩の時、右腕の存在をリアルに感じる」
「野菜などをご近所さんからいただくと、愛されているなと感じる」
「マンションの隣人と三年間に二回しか会ったことがない」
「根くらべをするとき」
「心折れる出来事に出会った時」
「等身大の自分がわからない状態が若者にある」
「泥沼だと気付いた時」
「無難に生きている人と出会った時」
「相手の弱さを知ることで〈リアル〉に触れる」

〈リアル〉という漠然とした概念にまつわる事例・想い・体験は、とてもバラエティーに富んだラベルたちを産み出すだろうとは思っていましたが、実に渾沌とした多種多様なラベルが提示されました。
 今どきの若者への批判や共感も多々示されましたが、今回のテーマで特徴的なのは、自身の「弱さ」へのユーモラスな距離感ではないかと思われました。
 各チームのリーダーの采配が優れていたこともありましょう、とてものびのびと「弱さ」がオープンに語り合われていた印象を受けます。その「弱さ」を笑いに包んで提示できる「強さ」もまた、印象的です。
〈リアル〉という感覚との距離をどうとればよいのか、若者への批判がそのまま自身の生き様への問いかけにもなり、「他人事」として扱いきれないテーマであったことに、主催者として納得のゆく想いです。
 また、〈リアル〉という感覚が、ポジティヴなイメージにもネガティヴなイメージにも発動していることで、ディスカッションにしなやかな奥ゆきが発生していたであろうことも感じられます。








 さて、まったくもって渾沌としたラベル達が大量に提示されましたので、これらから冬のワークショップでは、「多段ピックアップ」を経て「グループKJ法」での構造化を行い、本質を煮詰めてゆきたいとおもいます。
 
 受講者の作品の展示発表・解説の時間も持ちましたが、いずれも現場の〈リアル〉に触れる重さ・鋭さを持ち、見ごたえのあるプレゼンでした。



 閉会の頃には、会場の熱気に吹き飛ばされて台風がおとなしくなっていたこともまた、〈リアル〉な熱の感受でした。

 冬のワークショップへの期待感が高まる内容でしたが、冬までの時間を持ちこたえてゆくことも、私は大切なKJ法的時間であるとおもっています。
 意識と無意識の間で浮遊するようにもちこたえられるラベルたちの存在。
 そういう存在を安直にどこかへ位置づけてカタをつけてしまわないこと。そういう時間の中で息づいている隠された創造性のありかたにも身体を開いておきたいものです。
 よき時間を培い、さらなる鋭敏な感受性の出会いをまた冬に持つことができますように。



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「霧芯館KJ法ワークショップ2014」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2014.08.16 Saturday
  • 13:51

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