写生と抒情

  • 2015.03.31 Tuesday
  • 20:10

「一般に詩や俳句の目的は、或る自然の風物情景(対象)を叙することによって、作者の主観する人生観(侘び、詩情)を咏嘆することにある。単に対象を観照して、客観的に描写するというだけでは詩にならない。つまり言えば、その心に『詩』を所有している真の詩人が、対象を客観的に叙景する時にのみ、初めて俳句や歌が出来るのである。                    
()それ故にまた、すべての純粋の詩は、本質的に皆『抒情詩』に属するのである。」(萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』より 斜体部分、原文は傍点 岩波文庫・1988年)
 
 昭和8年から10年にかけて萩原朔太郎(1886〜1942)が刊行していた個人雑誌「生理」に連載されていた文章です。
 写生という技術だけを追求しても〈詩〉は成り立たないのだという本質論には、内攻する不条理感を超えようとして世界観の更新のための表現に一語一語を研ぎ澄ましていたであろう朔太郎の気迫が感じられます。
 
 この文章の中で朔太郎は、与謝蕪村の句に明治の新体詩人の作品と同質の抒情を見出して、奔放な解釈を試みています。
  人間に鶯鳴くや山桜
という句の「人間」は、「ひとあい」ではなく「にんげん」と読むべきであるとか、
  地車のとどろと響く牡丹かな
では、地車(じぐるま)を地軸と解釈し、地球の回転する音と牡丹の幻想とのとり合わせをイメージしてみたり、その蕪村解釈の手つきには、朔太郎の受けた近代の傷の場所から希求する不安定なロマンティシズムが滲んでいます。
 己れの解釈を披露しつつ、同時に朔太郎は、正岡子規(1867〜1902)に始まる「写生主義」の視角からなされた蕪村評価を転倒しようともしています。
 俳句や短歌を近代的な文芸として確立せんとした正岡子規にとって、「写生」は唯一無二の武器であり、堕落した型に安住してしまって鮮度を喪失した伝統を超え、みずみずしい風景を奪回するために、強硬にこの「写生」の意義を強調し、写生の名手として蕪村を評価したわけでした。
 子規の俳句および俳句観は、朔太郎の言うほど詩心の無いものではありません。
 少なくとも子規ひとりは、写生を強調しつつも前近代的なコスミックな身体のスケールを保持し得ており、貪欲に渉猟された鮮度の高いモチーフで塗り替えられた日常は、雄渾でみずみずしい振幅をもつものでした。
 しかし、子規の流れをくむ者たちが、子規のようなコスミックな身体をもたずに強調する「写生」は、これまたいつしか堕落して「自然主義文学」という理念と結びつき、「詩」を喪ってゆきました。近代社会の病理も進行して、朔太郎を育んだ世界風景は、子規を育んだそれとは異質の圧力として個人の魂にからみつき、神経症的な生存感覚とそれを超克するための表現は、いきおい幻想的な跳躍力を求めました。
 朔太郎の蕪村解釈にも、そのような跳躍力がよく表れています。
 
 とはいえ、詩がどのようなものであり続けねばならないかという本質論としては、前述の朔太郎の文章は、今なお私たちの世界観を揺るがす力をもっています。子規のように、己れを支えてくれるコスミックな身体という大きな舟を持たないために、己れ自身や世界との亀裂の感触が表現の原動力だったのであり、命懸けで詩の本質を握りしめて風景を塗り替えたかったのであろう、と想われて、なにか懐かしい一文です。
 
 KJ法の本質論として言い直してみましょう。
「KJ法を用いる目的は、渾沌をして語らしめることによって、KJ法の使い手の真に個性的な創造性を発現することにある。単にデータを分類して客観的に整理するだけでは創造的ではない。つまり言えば、この世界の渾沌とした事象を〈志〉を持つものとして象徴的に感受し得る世界観を所有する時にのみ、初めて真のKJ法作品が出来るのである。それ故にまた、すべての純粋のKJ法作品は、本質的に皆、芸術的な科学性を有するのである。」
 
 詩も、KJ法も、ただただ端的に、私たちに「世界観を鍛て」と訴えかけているのだとおもわれます。




 朝ざくら垢離を終へたる世がひとつ     桐島絢子


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