「霧芯館KJ法ワークショップ2015」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2015.08.30 Sunday
  • 19:55

「霧芯館KJ法ワークショップ2015」

  • 2015.08.30 Sunday
  • 17:46
 
 先日(8月22日)、「霧芯館KJ法ワークショップ2015」を開催致しました。(於:京都テルサ)
 これまでに霧芯館での研修を受講された方々が、今年も全国から京都にお集まり下さいまして、一つのテーマをめぐって熱い一日を過ごされました。




 今年のテーマは「〈闇〉の居場所」。
 開催の趣旨は以下の通りです。
 
〈現在〉において〈闇〉とのスタンスが問われていると感じます。さまざまな事件や病理の背景にいつも、十分な居場所や表現の道筋を与えられていない何かの存在を感じないではいられません。その何かは、ネガティブなものとは限らず、ふさわしい居場所や表現さえ与えられれば、〈光〉を紡ぎ出し、私たちの存在を根底で支えてくれるものであるかもしれません。
 KJ法もまた、「渾沌をして語らしめる」方法です。つまり、渾沌という〈闇〉に支えられて、〈闇〉から〈光〉を紡ぎ出す方法です。その〈光〉の明晰さや解決への推進力が底浅いものにならないためにこの方法があります。
 忌むべきものとしての〈闇〉ばかりではなく、私たちの存在の振幅を押し拡げ、呼吸をのびやかにしてくれる〈闇〉のあり方、そしてそこからの〈光〉の紡ぎ出し方について、本気で考えるべき時代であるとおもわれます。
社会の中の〈闇〉、自分の中の〈闇〉、さまざまな〈闇〉の居場所を存分に語り合っていただきたいとおもいます。
 
 主催者の期待にたがわず、今年も「パルス討論」という技法に則って、参加者の想いが多彩に語られ、数百枚のラベルが提示されました。いくつかご紹介しましょう。
 
「インターネットで犯人のプライベートがさらされるなど、『ネット処刑』が行われている。」
「明るい夜のコンビニの店先は、本当はまっ暗な闇である。」
「マニュアルから外れると異常になり、正常の幅が少ない。」
「面倒なこと、無駄なことにこそ本質がある。」
「昼の祭りより夜の祭りの方が心がおどる。」
「ファッションとして〈闇〉を身につける若者がいる。」
「ニコニコしている人にも、ふと見せる闇があることに驚いてしまう。」
「東洋人は、光と闇を明確に分けず、共存をゆるす心性がある。」
「整形を繰り返す人たちがいる。」
「死を知っている人は誰一人いない。」
「ゲームの中で生きていると、もう一度生き返ると思ってしまう子どもがいる。」
「代弁されると言いたいことが言えなくなる。」
「昔は深刻ないじめは無いが、ケンカした時は残酷なことばを投げつけ合った。」
「自分らしさこそ闇である。」
「大人になることが闇を持つことである。」
「白・黒ばかりで灰色の部分が大事にされない。」
「結婚には、闇に飛び込む勇気が必要である。」
「自分のことが一番わからない。」
「自律・自立ができてはじめて闇を闊歩できる。」
「縁切り神社で他人の不幸を祈る人がいる。」
「友情を逆手にとって相手を脅す人がいる。」
「“明るい場所”が苦手である。」
「一度すみついたら出て行ってくれないのが〈闇〉である。」
「〈闇〉は、自然にまかせた方がよさそうだ。」
「闇を盲目的に“闇”に追いやる風潮がある。」
 
〈現在〉において、何かが損なわれて〈闇〉が本来の息づき方をしていない、という感触が生々しく不気味に浮上しているように感じられます。また、安易に〈闇〉を扱えると思うことの傲慢さへの異和の念も、率直に提示されています。
〈現在〉のいびつな〈闇〉の暴発の姿を見るならば、いずれの現場も、もはやこのテーマを避けては通れないという切迫感を、参加者から強く感じました。
 
 いつもポジティブで、積極的に他者や現場と関わることの得意な受講者の方々が多いのですが、彼らの精力的なご活躍の内に、こんな風に繊細に〈闇〉との間合いを感じている奥深い時間があったのか、と、これらのラベルたちは、私にも新鮮な驚きをもたらしてくれました。




 
 この日KJ法をめぐっては、「KJ法の科学性」というタイトルでお話をさせていただいたのですが、〈渾沌〉という〈闇〉から、真に深みのある〈光〉としての明晰さを生み出すための方法論を、川喜田二郎がどれほどの世界観の振幅で創造したのかについて、二つの方向性でのアプローチを提示させてもらいました。




 一つが「方法論の本質を体系的に把握する」ことであり、川喜田二郎の著作から、技法の本質に関わる箇所をラベル化して、私がKJ法で構造化したものの解説。
 もう一つが「事例によって方法論の本質を追求する」ことであり、昨年のワークショップのテーマ「〈リアル〉の手触り」で提示されたラベル達から、一つのラベルを例示し、そのラベルが作成者によって異なるラベルとセットになることや、同一のセットに対しても、異なる表札が可能となることの意味について、精密な解説をいたしました。
 
 また、受講者の中から、それぞれの現場におけるすぐれた取り組みについて、図解の展示・発表も行っていただき、意義深い活用のイメージを参加者間で共有していただくことにもなりました。
 
 充実した時間、霧芯館という“道場”での熱い修行の時間を、KJ法という晴れやかな技法を通して開放的に共有できたことが、主催者として今年もたいへんうれしくおもわれたことでした。
 また冬には、ワークショップ「其ノ二」としまして、今回のラベルたちから精選したラベルをグループKJ法で図解に仕上げる時間を持ちたいとおもっています。
 そこでは、「〈闇〉の居場所」についてのさまざまな感受の質のバラエティーの提示にとどまらず、渾沌としていたラベルたちが構造化され、本質が浮上することとなります。
 
 毎年、〈現在〉の本質に迫ることを第一義にワークショップを開催してまいりましたが、観念的な議論ではなく、現場を生きる方々の生身のささやかな感受の場所から、未知の本質への道程を、KJ法によって夏から冬へと深めつつ共に歩めることの歓びが、私の開催意欲を支えてくれています。
 
 時代は確実に、向き合うべきテーマに人々を向き合わせているのだとおもわれた一日でした。
 



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