霧芯館KJ法ワークショップ2017
- 2017.08.08 Tuesday
- 15:57
去る8月5日、「霧芯館KJ法ワークショップ2017」を開催いたしました。(於:京都テルサ)
毎年、一つのテーマをめぐって、夏と冬の年2回のワークショップで、KJ法による問題解決の型を体験していただくのですが、今年のテーマは「〈違い〉がわかる瞬間」でした。
このテーマ設定の趣旨は、以下の通りです。
今年のテーマは「〈違い〉がわかる瞬間」。本物かどうか。質が良いかどうか。求めているものかどうか。私たちは情報の海で溺れそうになりながら、あるいは情報が全く得られない時にも、対象の価値について判断を迫られることがしばしばあります。「本物・良質さ・適合性」といったものに辿り着くため、私たちはどのような方法・プロセス・基準・能力を採用し、「偽物・悪質さ・不適合性」と峻別するのでしょうか。上手く見極められた思い出、間違った痛い思い出。譲れないもの、こだわるもの、許せない違い。そういった〈違い〉を意識させられる瞬間について語り合っていただくことで、〈現在〉における価値をめぐる判断の質を問い直してみたいとおもいます。
霧芯館の研修を受講された方とそのお知り合いを対象にしたワークショップ、今年も全国からお越しの多くの参加者によって、「〈違い〉がわかる瞬間」をめぐるディスカッションがチームごとに繰り広げられました。
「パルス討論」というKJ法の技法を用いて「探検ネット」という図解を作成することで、このテーマをめぐって360度の視角から参加者の想いが提示されるようにします。
これらが「狭義のKJ法」によって緻密に構造化されるのは冬のワークショップにおいてなのですが、夏はまず、質のバラエティーが豊かに提示されることを目指します。
今回も、魅力的なラベルをいくつかご紹介しましょう。
モノが壊れた瞬間、「これは安物だった」と思う。
危機にあった時も、いつもと変わらない態度をとりつづけられる人に信頼感を持つ。
非言語的コミュニケーションが違いをあぶり出すことがある。
「へ〜〜〜」と思わず声が出る時に本物と感じる。
楽しいと感じるときに、感性が鋭くなる。
ときにはにせものを楽しむこともありだと思う。
文章を読めば、コピペかオリジナルかの違いがわかる。
治療の姿勢で、医師の患者に向き合う姿勢がわかる。
通過儀礼で人が変わることがある。
シンプルな言葉が本物だと思う。
氏より育ち、とよく言われる。
化学調味料が本物を隠す。
添加物なしの自然なものを食べていると、味覚が敏感になる感じがする。
多数のファンが居なくとも、一人でもファンがいれば、本物になれる可能性が有る。
私も、誰か一人でも支持してくれれば、その人にとり本物になれるかもしれない。
飼い猫の態度で、我が家のヒエラルキーがわかる。
違いに気づく前後で世界が違って見える。
こだわりの違いに気づいてくれた時ほど嬉しいことはない。
ゾウキンのしぼり方で、その学生がどのように育ってきたかがわかる。
良いレポートは、読んでいて朱で線を引きたくなる。
電話相談員は、声だけでイタズラかどうかわかることがある。
「本物とわかる」と「ニセモノとわかる」は別々のメカニズムなように思う。
スキな人が言うことは、ニセモノを本物にしてしまう力がある。
ニセモノであることを言明しつづけ、努力している芸人は、本物をこえる。
経験を積むことで、アンテナが鋭くなる場合と、かえって鈍くなる場合がある。
ゴッホの作品を実際に見ると、筆圧や絵の具の厚みが見えて胸にせまってくる。
しゃべりすぎる人は「ホンモノ?」と疑ってしまう。
模写したら〈違い〉がわかる。
あえて知りたくない〈違い〉もある。
一流の人には色気がある。
白か黒か違いを決めつけないで、グレー状態に耐える力が必要だ。
フェイクファーでも着こなしで十分に本物に見える。
利き酒は、最初は分かるが、後半はどうでもよくなる。
愛よりお金、お金より愛、どちらも真実だなと思う。
「最後の1コ」をとるかどうかで人を判断する。
コピー文化が広がるからこそ、本物はわかりやすい。
専門家にしかわからない〈違い〉は尊重すべき。
逃がしてから気づく本物に、自分への失望感を抱く。
自分はあまり違いが分からない、と思うようにしている。
おみこしをかついだ時、リズムが合うと、慣れた人だけなんだーと思える。
本物は人にこびない。
ライブで、後ろのすみっこの席でも、感動をくれるアーティストにひかれる。
デマを拡散しないようにするのは、とてもエネルギーがいる。
人も物もニセモノは飾る。
本物は、普通になじんだ生活をしている。
関心がないと違いにも気づかない。
キラキラし過ぎる石は、逆に、ニセモノかと疑ってしまう。
メッキははがれる。
今年は、単に「こんなことがあった」「こんな想いをもっている」という表現ではなく、ラベルを書くことでまさにその書き手の「価値観」がにじみ出るような、味わいのあるラベルが多かったようにおもいます。
日ごろ、何を大切にして「択ぶ」「判断する」「決定する」といった事態に直面しているのか、1枚1枚にコクのある重みの手応えが感じられ、どのラベルも表情がしっかりしていました。
これらのラベルが、参加者の中で渾沌のまま数か月持ちこたえられ、冬のワークショップにおいて構造化されることが実に楽しみです。
みなさん、毎年とても楽しみにご参加くださいますので、私自身、一度でいいから、このワークショップを参加者として楽しんでみたいという気持ちがふつふつと湧いてきました。
とはいえ、みなさんの楽しさを、会場の空気とラベルから感じ取ることで、私もかなり楽しんでいますので、とにもかくにも贅沢な1日を過ごすことができました。
本物のKJ法とご参加のみなさまの本物の熱意に深謝。
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