〈水〉の風景

  • 2018.06.29 Friday
  • 12:34

 

 気がつくと〈水〉を撮っている自分がいます。

 

 

 暑さのせいばかりではなく、根深い精神病理を垣間見せる事件の数々や、災害とそれに伴って蔓延する不条理感、煽られる不安と虚無、そういった混沌の相貌に、惑乱させられたくないと望む、身体の防御本能かもしれません。

 ことに、稲が育つ姿が美しく感じられて、今年はついついカメラを向けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 田の面に映り込んだ山や空や稲によって織り成される風景は、光なのか影なのか、空気なのか水なのか、世界なのか私なのか、どこか混沌としていながら、不思議な落ち着きを湛えています。

 混沌や気が遠くなるほど長いスパンにおける循環や巨大な転換といった〈振幅〉は、有限な個としての生を生きる私たちにとって、その〈意味〉を測りがたい手ごわさを抱えています。不条理に直面したとき、その〈意味〉がいつまでたっても見出せない極北の風景にたたき込まれる恐怖は、筆舌に尽くしがたいものがあります。

 しかし、〈救い〉は、私たちの身体そのものに精妙に刷り込まれて存在していて、壮大な〈振幅〉は外部にのみあるのではなく、私たち自身が、実はその全ての〈振幅〉を自ら認識し把握することなど不可能なほど壮大な存在なのだということを、少しだけ思い出すことができる。そんな契機を、無意識に招き寄せるように、生きているのだと思います。それが、〈生かされている〉ということの姿なのかとおもわれます。〈生かされている〉という認識の先に、〈意味〉がたぐり寄せられる。不条理が後景に退く。

〈風景〉も、私たちの外部にあるのではなく、私たちの内なる壮大さの鱗のようなものが映し込まれて、そこに存在するのだと感じられるとき、風景の背後にある気が遠くなるような〈振幅〉の鱗もまた、私たちの内にきらめいて、その〈振幅〉との確かな絆を結べるようにおもわれるのです。

 

 

 

 

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