〈祈り〉のコスモロジー

  • 2018.07.31 Tuesday
  • 14:42

 

〈祈り〉の言葉には、おのずと世界観が滲みます。

 

 宮崎アニメ『風の谷のナウシカ』の中で、腐海一の剣士ユパが久しぶりに「風の谷」を訪れたときのこと。村人たちがユパを取り囲んで、新たに村に生まれた子どもの名付け親になってくれるように頼むシーンがあります。

 

「ユパさま、今年生まれたトエトの子です。」

「オオどれどれ。ホホォ、よい子だ、幼い頃のナウシカを思い出す。」

「どうか、この子の名付け親になって下さいませ。」

「いつもいい風がその子に吹きますように……」

「ひきうけよう。よい名を贈らせてもらうよ。」

 

 たったこれだけのやりとりですが、「風の谷」がどのような世界観で生きているのかを鮮やかに伝えてきます。

 

 久しぶりのユパの訪れを歓迎する言葉のはしばしにも、彼らの暮らしが何によって支えられ、何に感謝と祈りを捧げながら生きているのか、自然なその息づかいが溢れています。

 

「オオ!ユパさま。」

「ようこそ。」

「オオ、皆も息災か。」

「ハハハハ、水も風も滞りなく穏やかです。」

 

 宮崎アニメの美質の一端がさりげなく表現された場面に、観る者の世界に対する身構えがほころびます。

 

 ここで〈水〉〈風〉と村人が口にするとき、〈腐海〉という瘴気に満ちた死の世界に取り囲まれながら、また、〈腐海〉を焼き滅ぼし、自国のサバイバルを賭けて闘争を繰り返そうとする強国たちに脅かされながら、小さな「風の谷」を守ろうとする中での〈水〉であり〈風〉であることを想うと、牧歌的なだけの場面ではないことに気づきます。

 

「腐海の毒に冒されながら、それでも腐海とともに生きるというのか?」

「あんたは火を使う……そりゃあ、わしらもチョビッとは使うがのォ……多すぎる火は何も生みやせん……」

 

 かつて世界を亡ぼした〈巨神兵〉を蘇らせることで〈腐海〉を焼き払おうと企てる強国トルメキア。その皇女クシャナのヒステリックな問いかけに、「風の谷」の長老たちは、「わしらは水と風の方がエエ」と答えるように、彼らは〈火〉ではなく〈水〉と〈風〉がよい、〈火〉は使い過ぎてはならない、と考えています。

 

「風の谷」における〈水〉や〈風〉は、単に農作物や家畜や人の暮らしを支える、きれいな井戸水やほどよい風、という以上に、健やかで聡明な〈生〉の意味を支える、人間には測り切れないもの、統御し切れない〈気〉としての象徴的な奥ゆきを持っています。

 その〈気〉への深い信頼と畏れがあればこそ、主人公ナウシカによる、〈腐海〉の潜在的な浄化のシステムへの理知的な探究も、俊敏な身体性の発露も機能しているのであり、〈水〉や〈風〉によって支えられたまっとうな生命的な〈火〉が、いびつな〈火〉による破壊の浅ましさと対決する、この作品のテーマは、地球規模の環境問題以上に、個々人の生きざまにおける〈信〉のあり方、世界観のあり方に訴えかけてくるものです。

 

 どうか、良き〈水〉と〈風〉に恵まれて、健やかな〈火〉の活力を顕ち上げることができますように。

 測り知れない自然の力に脅かされてもなお、壮大で不可知の〈気〉への畏怖と信頼を持ちこたえて、どうかどなたもこの夏を溌剌と過ごされますように。

 

 

 

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