「霧芯館KJ法ワークショップ2019」〜参加者のみ閲覧可〜

  • 2019.08.07 Wednesday
  • 11:33

「霧芯館KJ法ワークショップ2019」

  • 2019.08.07 Wednesday
  • 11:11

 

 さる8月3日、「霧芯館KJ法ワークショップ2019」を開催いたしました(於・京都テルサ)。

 過去に霧芯館の研修を受講された方々とそのご紹介のある方々が対象ですが、今年も、猛暑の京都へ、全国から大勢お集まりいただき、無事開催できましたことにほっとしています。

 今年のテーマは「イメージの力」。テーマ設定の趣旨は次のようなものです。

 

「イメージトレーニング」などと言われるように、時として私たちはイメージによって自分を変えてゆこうとします。逆に、イメージの持ち方がネガティヴだと、どんどん悪い連鎖に陥ってしまうことも。論理と対極的なこの「イメージ」には、どのような可能性や怖さが潜んでいるのでしょうか。イメージとどのようにつき合うことが、ものごとを良い方向へ進めることになるのでしょうか。

 

 チームごとに「パルス討論」という技法で、テーマをめぐって多彩なラベルを提示してもらいます。また、今回初めての試みとして、ラベルの提示にとどまらず、例年は冬のワークショップで実践する「狭義のKJ法」を少し先取りするような「構造化のためのトレーニングワーク」も楽しんでいただきました。

 

 

 まずは、今年のラベル達をご紹介してみましょう。

 音楽教育に携わる方々、演奏家の方々がたくさんご参加だったことも作用したでしょうか、イメージ豊かで楽しい、魅力溢れるラベルが豊富に出揃っています。

 

人のことを考えずに思い込みで行動(暴走)する原動力になる。

自分と相手とのイメージにギャップがあるとどちらかが傷付く。

風鈴は、物理的な涼しさは何らもたらさないが、イメージによって人を涼しくさせる。

幼児のイヤイヤには、これから発達するイメージ力に対するエネルギーを感じる。

見えないものって、確実にあると思う。

文学が実写化するとがっかりする。

ガンだと診断を告知された途端、ガン患者になっていく。

プラセボ(偽薬)でも鎮痛にある程度の効果が得られる。

チョコパンだと思っていたのにあんこだったりするとすごいがっかりする。

自分の“性”でない人の“性”の悩みを考えるのは容易でない。

良いイメージをなくしてしまうのは一瞬である。

アイドルは恋愛禁止だ。

一人暮らしをしているが、誰もいない部屋に「ただいま」と「行ってきます」を言うようにしている。

想像の産物が人々の命を救うこともある。

イメージは人を狂気の世界に陥らせもするし、病んだ心を癒しもする。

過去を変えることもできる。

同じものをイメージしたとしても、同じイメージを共有できるとは限らない。

万人が同様のイメージを持つものごともある。

以前の学生は文章を見て行動化できたが、今はDVDを見ないとできない。

経験値によりイメージしやすいことと、イメージしにくいことがある。

人間は、現実世界(客観)とイメージ(主観)の両方を生きている。

イメージによる飛躍がイノベーションを起こす。

死後の世界は誰も見たことがないのに多くの人が信じている。

AIはイメージできるのだろうか?

イメージの世界では何でもできる。

赤いパンツは健康になる。

高価なもの程、ご利益ありと思う。

己れの原動力を大きくも小さくもする。

100キロの体重の人が10キロ痩せる目標をたてても痩せられないが、90キロの自分の姿をイメージすればそれに近づける。

色の持つイメージの違いを効果的に使うと良い。

人と交渉する時は、ピンク色の服を着ると良いらしい。

多様なイメージができる言葉を遣って話し合うと、コミュニケーションがずれることがある。

幼児は花が開く瞬間を、大太鼓をたたいて「ドドドー」と表現していた。

子どもの想像力は経験値の低さゆえの豊かさがある。

YouTubeが最強の宣伝ツールになっている。

気がつかない間に洗脳されることがある。

ネガティブな事をイメージするとネガティブな事がおきる。

筋トレで、動かしている筋肉をイメージしてやると効果は絶大である。

日本人は、風鈴の音をきくと涼しくなると思い込んでいるので、風鈴の音で体温が下がる。足がつりそう、と思ったとたんに足がつり、42kmでフルマラソンをリタイアした。

コップを落とさないで、と小さい子どもに言うと、落としてしまう。

脳はだまされやすい。

イメージは時として、偏見・固定観念となる。

高齢者事故のニュースを見ると、もみじマークをつけている車は危ないと思ってしまう。老後をイメージすると不安でしかない。

イメージは操作される。

イメージは黒を白にでもできる。

イメージとは、自分の脳をだますために想像することだ。

幸福や不幸になるエッセンスになる。

相手に明確に伝えにくくなると、めんどくさくなって“こういうイメージ”と言ってしまう。

事実ではない、うらづけもないのに、心で描いたものにしたがってしまう。

判断材料の一つになることがある。

わざわざ北枕で寝ている。

演奏会で拍手をたくさんもらったことを想像しながら練習したら本番もうまくいった。

音楽をきいて、自分で勝手にイメージすることはとても楽しい。

頭の中でふわっとふくらむ自分のものさしのようなものかも。

世代により異なることがある。

ふと頭によぎった不安は起こってほしくないと願いすぎて現実に起こってしまった。

ピンチはチャンスだとイメージできる自分は自己肯定感が高い。

イメージとはなれすぎたギャップは人を苦しめる。

あるイメージにとらわれると、そこからはなれづらい。

習慣化することでイメージは強化される。

イメージだけ持っていても、そこに努力が伴わないと、結果には結びつかない。

一流、といわれる人は、鍛錬によって、イメージが鮮明かつポジティブに描ける。

自分の中ではぼんやりさせていても、人に伝えるときは、論理的に語る必要がある。

自分自身のイメージが一番難しい。

自分のリアルとイメージのズレは必ずある。

水に「ありがとう」といい続けるとうつくしい結晶ができたという実験があるが、あれは人のイメージが反映したと言われてもいる。

目標をイメージ化できると、苦しいトレーニングにも耐えられそう。

イメージを持続するには忍耐がいる。

毛虫に怖いイメージがなかった3歳の頃、みずから手でつついて大ケガをした。

他者の持つイメージを完全に知ることはできない。

イメージすればするほど現実離れする世界観がある。

異質なものをつなげる力がイメージにはある。

イメージの大きな飛躍が新しい芸術をうみだす。

想像のつばさは、大・小さまざまであると感じる。

猫をイメージすると幸せな気持ちになる。

楽譜を読むとイメージがふくらむ。

かみあわないイメージは想像力を広げる。

イメージがかみあわないとトラブルのもととなる。

メディア環境の変化が、人々の持つ「イメージ」の質にも変化を及ぼしている可能性がある。

素材が多いほど、実像に近づいていく。

マイナスのイメージとプラスのイメージを持つことでバランスをとっている。

楽しいイメージは無限大に拡がる。

自分のボディーイメージが曖昧な人は生き方も曖昧な印象がある。

虹を見ると宇宙の力を感じる。

 

 どの一枚を読んでも、まさにそこからふくらむ〈イメージ〉がある、そんなラベル達に、心躍る成果を感じました。これらのラベル達は、今年も今から4ヶ月ほど寝かされ、冬のワークショップ「其ノ二」において、グループKJ法で構造化される機会を待ちます。

 しかし、今回初の試みとして、全チームから1枚ずつ選ばれたラベルを〈土俵〉として、それぞれのラベルを一つの〈島〉として感受し、シンボルマークを与え、関係線を入れ、図解化する、そういう構造化のトレーニングワークにも取り組んでいただきました。

 この日の会場全体からの代表選手とも言うべきラベル達を、全チームが共有し、構造化に臨む。これはなかなかに刺激的な時間でした。

 本来の狭義のKJ法の緻密な手続きではないわけですが、「近いけれども異質な、あまり多すぎないデータ」を一望することで、人は発想力が飛躍するのであり、これはKJ法の一つの本質を生かした作業です。

 楽しい、難しい、脳みそが煮えたぎりそう、といったご感想がちらほら聞こえてきましたが、無事全チームの構造化を終え、プレゼンテーションまで持ち込むことができました。

 

 

 同じラベルを用いながら、チームによって異質な図解が完成したのですが、いずれにも、〈イメージ〉の持つ想定外の威力、私たちの合理性を吹き飛ばしてしまうパワー、身体のあり方や幸不幸やものごとの成否の鍵を握る潜在的・本質的なパワー、といった把握が見受けられました。

 冬のワークショップにおいて、さらなる精緻な構造化が期待されます。

 

 

 

 

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