朝焼と日輪

  • 2020.05.29 Friday
  • 16:01

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朝焼の中に地上の日出づる  中村草田男

 

 朝焼に染まった空、そこに日輪がしずしずと昇りゆく、シンプルな光景が眼に浮かびます。

 日が昇るからこそ、空が朝焼けているのであり、実は、日の出という一つのことが起こっているにすぎないはずなのですが、この句は、あえて朝焼と日輪とを対極的に配してみせ、そのことで異質な二つの次元を提示しようとしています。

 朝焼は天に属する事象。日が昇るのは地に属する事象。

 輪郭が定かでなく、広大な空を美しいグラデーションで染め上げる朝焼は、日輪とは別の天の意志を感じさせるエリア。

 くっきりとした輪郭を持ち、地平線の下から徐々に姿を現し、天のエリアを背景として自我意志を持つ生き物のごとく上昇してゆく日輪は、地上に属する存在。

 そこには、正反対の存在感があるにもかかわらず、この「地上の日」というものは、あくまでも、朝焼を背景としてこそ、その自我意志を発揮できるのではないか。そうも感じさせてくれます。

 

 私たちの存在は、あくまでもこの肉体という明晰な輪郭を持ってこそ、その有限の生をまっとうできるわけですが、その自我意志なるものがきちんと意味を持って機能するためには、朝焼のような天のエリアを背負っていないといけないのではないか。己れ一人で輝けると考えるとすれば、それはとても傲慢なことなのではないか。自我が輝けばこそ、空は朝焼けるのですが、その自我を輝かせているのは、実は天なるエリアなのではないのでしょうか。

 

 KJ法という方法も、実は、この句のような世界観で成り立っています。

 たくさんのラベル達が統合され、構造化され、KJ法図解が出来上がる時、個々のラベルは、図解全体を背景にしてこそ、それぞれの〈志〉が明確なものとなり、その輪郭を主張することができます。ラベル達が存在してこそ図解が完成するのですけれども、それは、「渾沌をして語らしめる」という、「天のエリア」に相当する世界観があればこそなのであり、ラベル達の勝手で尊大な自己主張の総和として図解があるのではありません。逆に、図解をバラバラに分析して、朝焼と日輪に分類したり、地上的な機能的意味だけに規定し尽くそうとするのでもありません。

 この、「天のエリア」に相当する世界観抜きに、KJ法はKJ法たり得ないのです。

 また、世界も、人も、そのような世界観抜きに、本来的な豊かな振幅を取り戻し得ないのだと思います。

 混迷は試練となって、私たちに世界観を問いかけ続けているようです。

 

 

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